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夏川草介   「勿忘草の咲く町で」(角川文庫)

 主人公の桂は、松本郊外安曇野にある総合病院の研修医師として働いている。そこで、起きる出来事4話が収録されている。

 松本から離れた田園地帯にある病院のため、入院患者の6割が80代、2割が90代、老齢患者ばかりの病院。なにしろ、病院が退院できても、退院先は施設。死ぬまで病院と施設を往復している患者が殆ど。それで、病院スタッフは年がら年中、死に遭遇する。

 桂の指導医の谷崎は「死神」とあだ名されている。もう死の直前にある患者は、簡単な処方をするだけで、そのまま死なせてあげる。それは、寿命なのだからしかたないことと言って、延命治療は行わない。亡くなる患者の殆どが、80代、90代。天寿をまっとうしたのだから。

 この物語は、死ということに直面してどう対応するかの問題が提示されている。内科部長の三島が、桂に言う。

 「医療は今、ひとつの限界点にきている。『生』ではなく『死』と向き合うという限界点だ。乱暴な言い方をすれば、大量の高齢者たちを、いかに生かすではなく、いかに死なせるかという問題だ。医学の側には、残念ながらほとんど何の準備もできてない。一部の学会からは看取りのガイドラインのようなものはだされているが、内実の伴わない空虚な文言しか並んでいない。一方で社会においても、どうやって死んでいくべきかという問題と正面から向き合う人もすくない。自宅で家族を看取ることが稀になった現代では、ほとんどの人が死に触れたことがなく、考えたこともなく、無関心になってしまっているのだから。こんな死に無知な人々に対してどのように医師は接するべきか、これはとても難しい問題なのだ。」

 しかし、どのように死をむかえるべきかという、問いに人間は答えをだせるだろうか。
なにしろ、死んだ人とは話すことはできないのだから。

 それに谷崎のような医師は、病院にとってはいらない存在だ。
もし、総合病院から延命治療を除いたら、病院は赤字になってしまう。延命治療代が高額で利益の源泉になっているからだ。

 夏川の作品は、医療問題を突き付けてくるが、深刻さは無い。それから、安曇野の風景描写がすばらしい。彼は夏目漱石が大好きと読んだことがある。読んでいて「草枕」を彷彿とさせる。

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| 古本読書日記 | 06:01 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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