朝日文庫編 「ぐでたまの『資本論』」(朝日文庫)
資本論は19世紀中旬にドイツの社会主義者マルクスによって第一部が完成し、19世紀末に第3部が刊行された3巻の社会主義、共産主義のための理論書。
私が大学に入ったころは、「資本論」を読み切ることが義務のような雰囲気があり、私も挑戦はしてみたが、最初の10ページで挫折した。
この本は、人生の生き方を、資本論からの引用により、示した作品になっている。少し強引な解釈もあり、本当かなあと首をかしげる部分も散見される。
今の社会をみていて、よくわからないのが、資本家と労働者の違い。
資本論1巻4章 貨幣の資本への転化からの引用
「彼と貨幣所有者とは、市場で出会い、お互いに対等の商品所有者としての関係に入る。ただ、一方は買い手であり、他方は売り手である。したがって、両者は法律上平等な個人であるということで、区別されるだけである。」
これを生きかた論で現代になおすとこうなる。
「企業と労働者を比べると、雇用する側にあたる企業のほうが上のように、どうしても感じてしまう。でも、法律上は平等な関係。こちらは労働力を売る側で、向こうは買う側というだけ、萎縮せずに堂々と働こう。」
企業側が資本家階級となるのだろうが、資本家というのは、企業の誰を指すのだろうか。今の多くの企業は、労働者の中から社長になった人が多い。それゆえ資本家というようにはなかなか思えない。と言って投資家が資本家かといえば、中にはモノ言う株主の存在もあるが、殆どの投資家が企業経営にたいしモノ言うということが無い。
昔は、労働者階級であることが意識され、集団としての力もあり、資本家階級と対峙することが多く、労働組合は企業に対しても、社会に対しても強い影響力を持っていた。
しかし、今は労働組合最大の組織「連合」をみても、企業や資本階級に対し融和的になり、資本家階級を倒して、労働者中心の社会を造ることなど考えられないようになった。
社会主義、共産主義がかっては理想社会と思われたが、今は専制君主を産み出す社会となり、弾圧や言論統制で人々を締め上げる道具となった。そして、世界にはそんな国が多く存在している。そういえば、日本共産党の志位委員長も、内部では批判を許さず習近平より長く20年以上も委員長の座にいる。
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私が大学に入ったころは、「資本論」を読み切ることが義務のような雰囲気があり、私も挑戦はしてみたが、最初の10ページで挫折した。
この本は、人生の生き方を、資本論からの引用により、示した作品になっている。少し強引な解釈もあり、本当かなあと首をかしげる部分も散見される。
今の社会をみていて、よくわからないのが、資本家と労働者の違い。
資本論1巻4章 貨幣の資本への転化からの引用
「彼と貨幣所有者とは、市場で出会い、お互いに対等の商品所有者としての関係に入る。ただ、一方は買い手であり、他方は売り手である。したがって、両者は法律上平等な個人であるということで、区別されるだけである。」
これを生きかた論で現代になおすとこうなる。
「企業と労働者を比べると、雇用する側にあたる企業のほうが上のように、どうしても感じてしまう。でも、法律上は平等な関係。こちらは労働力を売る側で、向こうは買う側というだけ、萎縮せずに堂々と働こう。」
企業側が資本家階級となるのだろうが、資本家というのは、企業の誰を指すのだろうか。今の多くの企業は、労働者の中から社長になった人が多い。それゆえ資本家というようにはなかなか思えない。と言って投資家が資本家かといえば、中にはモノ言う株主の存在もあるが、殆どの投資家が企業経営にたいしモノ言うということが無い。
昔は、労働者階級であることが意識され、集団としての力もあり、資本家階級と対峙することが多く、労働組合は企業に対しても、社会に対しても強い影響力を持っていた。
しかし、今は労働組合最大の組織「連合」をみても、企業や資本階級に対し融和的になり、資本家階級を倒して、労働者中心の社会を造ることなど考えられないようになった。
社会主義、共産主義がかっては理想社会と思われたが、今は専制君主を産み出す社会となり、弾圧や言論統制で人々を締め上げる道具となった。そして、世界にはそんな国が多く存在している。そういえば、日本共産党の志位委員長も、内部では批判を許さず習近平より長く20年以上も委員長の座にいる。
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