澁澤龍彦 「快楽主義の哲学」(文春文庫)
面白い。人間が生きてゆく目的。そんなものは、人間も動物、動物にはそんな目的は無いのだから、食って、寝て、性交して、寿命がくれば死ぬだけ。
で、人間の幸福とは何か。満ち足りた生活を実現していること。この人間の幸福には2種類ある。1つは、消極的幸福。それにもう一つは積極的幸福。
前者は、痛い目にあうよりも、あわないほうがいい、失恋するよりもしないほうがいいという消極的な考え方。一方後者は、血の滴るようなビフテキを食いたいとか、世界一周旅行をしたいとか、恋人と一晩豪華なホテルで過ごしたいとか、これらは積極的考え方である。
前者は苦痛を回避することによって幸福を得る。後者は進んで快楽を獲得しようとする。この本では前者を幸福への欲求。後者を快楽への欲求と定義して、快楽の欲求こそが歓び、真の幸福の実現ができるということで快楽論を具体的に展開する。
私の故郷の隣村で毎秋、豊年、五穀豊穣を祝って、神社のお祭りをする。この神社に祭ってあるのが、男根。この藁を結って出来上がった神男根を若い衆がかついで町中を練り歩く。
それなりだけど、どこか空しい。何かが欠けている。おそらく、この祭りが始まった遠い昔には、無礼講で村の男女が大騒ぎの中で快楽を貪ることがあったように思う。
その交わり、快楽が禁止されているので、虚しさを感じるのである。明治になり、西洋の規範が入ってきて心からの快楽、喜びを表現できなくなった。
快楽は、平等を基本とする。金持ちも貧乏人も、上位階級の人も下位階級の人も皆、裸になる。武器も持たない。快楽、喜びは平等で平和なのである。
作品では、こんな快楽主義論が展開され、歴史上快楽を実行した人物を活写する。
本当に痛快な澁澤の快楽論。しかし、規範を守るべきことが最上のものとして人生を送ってきた、小心の私など、とても快楽主義は憧れるが、実行はできない。
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で、人間の幸福とは何か。満ち足りた生活を実現していること。この人間の幸福には2種類ある。1つは、消極的幸福。それにもう一つは積極的幸福。
前者は、痛い目にあうよりも、あわないほうがいい、失恋するよりもしないほうがいいという消極的な考え方。一方後者は、血の滴るようなビフテキを食いたいとか、世界一周旅行をしたいとか、恋人と一晩豪華なホテルで過ごしたいとか、これらは積極的考え方である。
前者は苦痛を回避することによって幸福を得る。後者は進んで快楽を獲得しようとする。この本では前者を幸福への欲求。後者を快楽への欲求と定義して、快楽の欲求こそが歓び、真の幸福の実現ができるということで快楽論を具体的に展開する。
私の故郷の隣村で毎秋、豊年、五穀豊穣を祝って、神社のお祭りをする。この神社に祭ってあるのが、男根。この藁を結って出来上がった神男根を若い衆がかついで町中を練り歩く。
それなりだけど、どこか空しい。何かが欠けている。おそらく、この祭りが始まった遠い昔には、無礼講で村の男女が大騒ぎの中で快楽を貪ることがあったように思う。
その交わり、快楽が禁止されているので、虚しさを感じるのである。明治になり、西洋の規範が入ってきて心からの快楽、喜びを表現できなくなった。
快楽は、平等を基本とする。金持ちも貧乏人も、上位階級の人も下位階級の人も皆、裸になる。武器も持たない。快楽、喜びは平等で平和なのである。
作品では、こんな快楽主義論が展開され、歴史上快楽を実行した人物を活写する。
本当に痛快な澁澤の快楽論。しかし、規範を守るべきことが最上のものとして人生を送ってきた、小心の私など、とても快楽主義は憧れるが、実行はできない。
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