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岡本太郎    「青春ピカソ」(新潮文庫)

 この作品、ピカソのことについて書かれているが、ピカソを通して、岡本太郎の目指す芸術とは何かを描く作品になっている。

 岡本太郎は18歳の時である昭和5年、一平、かの子両親に連れられ初めてパリに渡る。翌日両親は仕事のためにイギリスに行く。その後岡本太郎は昭和15年までパリで1人ですごす。

 この本で初めて知ったのだが、岡本はピカソと親交があり、ピカソのアトリエや陶器窯まででかけ、ピカソとの直接話をしている。

 さて、岡本はパリ滞在の最初ルーブル美術館にでかける。そしてそこで鑑賞したセザンヌの絵に涙を流す。美しい!タッチの豊潤さ、諧調の明快さ。日本でみた複製とは全く異なっていた。

 岡本は絵画を鑑賞して2回泣いている。このセザンヌとピカソだ。しかしピカソの絵に涙を流すのはルーブルでセザンヌに涙してから2か月半後だった。

 どうしてセザンヌ、ピカソに涙したのか。もちろん絵画の素晴らしさもあったが、彼らの作品が岡本の生活と肉体に染み入ってきたからだ。

 セザンヌは19世紀美学の破壊者と言われているが、実際は建設者だと岡本は言う。
セザンヌやゴッホの前では、岡本は希望的であるのだが、ピカソの前では、未完成に見えているのだが、すでに完成していて、そこには希望ではなく虚無しかない。

 その絵の前ではピカソのみが輝いていて、そのまわりは漆黒の闇になっている。
その闇はピカソ自身が自ら超えて新しい最高の芸術を創造するしかないと岡本は言う。しかし岡本は同時に宣言する。そのピカソを超えていくのはピカソの他には岡本がやるしかないと。

 そうか、あまたある燃え滾った岡本の作品は、尊敬するピカソを超えてみせた作品だったのか。

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| 古本読書日記 | 05:45 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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