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秋山駿    「信長」(新潮文庫)

 司馬遼太郎の表現によれば、日本史上、初めてでた「革命家」である、天才児織田信長の桶狭間の戦いから本能寺の変までの生涯を扱った作品。

 その天才性を明確にするために、ブルターグの「英雄伝」やスタンダールの「ナポレオン」で引き合いにだしてスケールを大にして描く。

 この作品は、不思議な作品だ。信長を非現実の徹底した実現者と規定する。随所に言葉は事大的で勇ましい。常に現在を否定して新しい姿を求め実現してゆくのが革命者信長。

 その基本になる史料は太田牛一の「信長公記」。
この太田牛一の作品に、信長の人生を忠実に描いている作品。だから、信長の人生観や、目指す理想社会像は描いているわけではない。

 そして秋山のこの作品も、「信長公記」に書かれていることを年代を追って記述しているが、それでは、信長の天才、創造者としての実像を描けない。それで、突如その天才、創造者としての有り様を公記から飛躍して描く。

 この部分が、全く具体性がなく、観念的な言葉を並べ、大げさに描く。
例えば、光秀が本能寺の変を起こす。この光秀の動機について、次のように描く。

「信長は、新秩序を創始し、現実に強行している。光秀の眼の中で、信長が、戦争の天才というより政治的独裁者へと変じてくる。信長の現実改変は、日本の旧来の伝統と社会の秩序を破壊する。・・・・信長には超人的な何ものかがある。ところが信長が強力に開始しつつある新秩序は、光秀が考える日本のイメージ、いわば国体といったものを、損なうものだ。」

 だから信長を討たねばならない。
全く凡人の私には、こんな思いで、信長を殺害しようなんて思うことが理解できない。

 巷に溢れている歴史小説では、こんな観念的な動機は書いていない。

今のままでは、光秀が信長に殺される状況や心理が描かれ、それが信長討ちの動機になっているとそれならわかるというものが全て。
 すべてが、現実感が乏しく、読むのが辛い。何だか作者に馬鹿にされているような気持ちが残った。

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| 古本読書日記 | 07:40 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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