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池波正太郎   「剣の天地」(下)(新潮文庫)

 かの柳生一族総帥が剣の師と仰いだ、剣聖、上泉伊勢守の人生を物語にした長編小説。

 解説で佐藤隆介が言っているが、この作品を読むと現代日本で最も必要な教育が欠落しているとしみじみ感じてしまう。

 この作品で、明治末から大正、昭和まで活躍した、直心影流免許皆伝の山田次郎吉の言葉が紹介されている。

 「剣道は、外形の技術と内面の精神に別れ、この二つが混然と溶け合うところに本義がある。内面的成熟を極めぬと、剣道は魂のない木像のような死物となってしまう。
 剣術は、まず、わがままな心を捨て、虚明な心を養うことを持って、不動の目的とする。
不動心というのは、いかなる狂乱怒涛が身にせまって来ようとも、我は大磐石のごとく動揺しない、このことである。
 剣道は社会、日常の百般において存在するものであり、それでなくては、この道をきわめたことにはならない。
 剣は太刀・・・・すなわち断つ、という言葉にあてた文字であって、これはすなわち善悪を裁断することである。
 世に、十悪という。すなわち我慢、我心、貪欲、瞋恚、危殆、嫌疑、迷惑、侮慢などを言い、この悪心を切断すれば、人間本来の清明心に帰するものである。」

 実利としてPCや英語を学ぶこともいいけれど、やはりその前に一本芯の通った人間を育てるべきだと思う。それには剣道はうってつけ。剣道の精神の上に、各実利教科はある。

 こんなことを言うと、戦時中に回帰だとか、右翼だと言われそうだけど、やはり、有用な人材を創るには、剣道の精神が必要と池波は主張する。

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| 古本読書日記 | 06:18 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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