吉村喜彦 「こぼん」(PHP文芸文庫)
小学生主人公のこぼんを通して、1960年代の大阪の暮らしの変化を描いた小説。
吉村は私より3歳年下の小説家。こういう小説は、私自身の小学校時代を印象深くどれだけ思い出させてくれるかいつも楽しみ。
そうそうあのころ、朝のホームルームで、衛生検査というのがあった。頭に懐中電灯をあてて虫がいないかとか、ハンカチではなくて清潔な手ぬぐいを持ってきたかとか。
それから、電気を送る送電線の数が見る場所で見える数が変わる。これを学校からの帰り道、数えながら帰ったことを思い出す。家までの道をはずれて、ずっと走ってみんなで電線の数を数えた。
それから、あの頃は、井戸のある家が多かった。すでに使われなくなった井戸もたくさんあった。井戸の穴はどこに通じているのか、涸れ井戸に入って、遊ぶのが流行った。
それで、自分の学年にはいなかったが、よく井戸に落ちて、溺れる生徒が続出した。
物語では、井戸はあの世とこの世をつないでいると描かれる。井戸の向こうは、暖かく穏やかで、たくさん咲いた花にうずもれて、幸せに人々が暮らす素晴らしい世界につながっている。
太陽は朝、そんな素晴らしい世界から今の世界に現れ、夕方またあの世に行ってしまうのだ。
そんなことが信じられる60年代の子供たちの世界が鮮やかに描かれる。
この小説、2002年、茨城県、山口県の高校入試問題に使われている。それから教科書にもしばしば使われているそうだ。
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吉村は私より3歳年下の小説家。こういう小説は、私自身の小学校時代を印象深くどれだけ思い出させてくれるかいつも楽しみ。
そうそうあのころ、朝のホームルームで、衛生検査というのがあった。頭に懐中電灯をあてて虫がいないかとか、ハンカチではなくて清潔な手ぬぐいを持ってきたかとか。
それから、電気を送る送電線の数が見る場所で見える数が変わる。これを学校からの帰り道、数えながら帰ったことを思い出す。家までの道をはずれて、ずっと走ってみんなで電線の数を数えた。
それから、あの頃は、井戸のある家が多かった。すでに使われなくなった井戸もたくさんあった。井戸の穴はどこに通じているのか、涸れ井戸に入って、遊ぶのが流行った。
それで、自分の学年にはいなかったが、よく井戸に落ちて、溺れる生徒が続出した。
物語では、井戸はあの世とこの世をつないでいると描かれる。井戸の向こうは、暖かく穏やかで、たくさん咲いた花にうずもれて、幸せに人々が暮らす素晴らしい世界につながっている。
太陽は朝、そんな素晴らしい世界から今の世界に現れ、夕方またあの世に行ってしまうのだ。
そんなことが信じられる60年代の子供たちの世界が鮮やかに描かれる。
この小説、2002年、茨城県、山口県の高校入試問題に使われている。それから教科書にもしばしば使われているそうだ。
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| 古本読書日記 | 06:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑