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後藤忠政    「憚りながら」(宝島社文庫)

 伝説のヤクザ組長後藤忠政の怒涛の生き様を描いた人生記。ベストセラー作品になっている。

 後藤忠政は1969年富士宮市で暴力団後藤組を結成する。当時は独立系だったが、浜松の山口組系の伊堂組の傘下にはいり山口組系になる。

 その後東京に進出、それを契機に山口組直参になり、山口組若頭補佐にまで出世する。

 今は暴力団に対しては暴対法などが施行され、暴力団の活動、団員の社会生活に厳しい規制がなされ、暴力団の勢力は以前に比べ大幅に減少した。

 もちろん戦前にも暴力団はあり、活発に活動していたが、暴力団は戦争後しばらくの間に活動勢力が活発になり拡大した。
 暴力団がかってなぜ勢力が拡大できたのか、この本を読むとよくわかる。
戦争直後、たくさんの企業でストライキがおこり生産活動が止まった。さらに社会主義、共産主義が台頭して、大規模なデモが多発し、日本は共産主義国家になるのではと思われる時もあった。

 私の会社でも、戦後大規模なストライキが起こった。そのストライキを扇動したのは、もちろん労働者もあったが、多くは社会共産主義政党が送り込んだ革命家であった。

 この時、会社側は、会社の意向に沿った穏便な組合を作ろうとしつつ、社会主義政党が指導する過激な労働組合のせん滅に動いた。この時過激な活動切り崩しに前面にたったのが、会社側が雇った暴力団だった。

 会社、国家は暴力団と癒着し、暴力団の社会への浸透に手を貸した。会社は、その後も暴力団を総会屋として使い、手をきることはしなかった。

 日本が高度成長をなしとげ、安定期にはいると、だんだん市民活動も停滞した。

最後まで残った大きな活動は学生運動だった。しかし学生運動が完全に国家の勝利に終わった時、学生運動はセクト間の凄惨な対立抗争に変化した。

 それと同時に存在価値を大きく失った暴力団も山一戦争が典型的だが、暴力団間の熾烈な抗争に移行した。学生運動と同じ軌跡を暴力団も辿った。

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| 古本読書日記 | 06:09 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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