冲方丁 「光圀伝」(下)(角川文庫)
歴史物というのは、史料に引きずられ、解釈論になってしまうものが多い。「~と思われる。」「~と考えてもよい。」という文章が並ぶ。しかし、冲方のこの作品は、解釈論を排し、作家の想像力を目いっぱいで展開させる。光圀の日々の生活風景それから発せられる言動が目の前で展開するように描かれる。物語なのだから、作品はこうあってほしい。作家の想像力が縦横無尽に発揮されるほうが読者は物語に魅了される。
上巻で、本来水戸藩藩主になるべき兄頼重をさしおいて、藩主にされてしまった光圀はとんでもないことを考え実行する。
すでに讃岐国高松藩主になっていた兄松平頼重の息子を、光圀に養子としてもらい、自らの息子を頼重の養子にする。
これにより、本来あるべき兄の子孫が水戸藩主につくことを実現する。すごい執念である。
光圀は有名な大日本史の編纂に取り組む。それは、光圀の叔父、尾張藩主徳川義直の影響が強い。義直は言う。
「史書に記された者たちは、誰もが生きて、この世にいたのだ。代々の帝も、戦国の世の武将たちも、名を残すほど文化に優れていた者たちも、わしやそなたと同じように生きたのだ。史書こそ、そうした人々が生きたことを記す、唯一のすべてなのだ。」
光圀は、詩歌で日本一になることを目指す。そして、その日本文化芸術の最高の地は京都である。詩歌で日本一になるには、日本史を習得せねばならないと考える。
そして、思いは、京都へむかう。朝廷、京都一流文化人を尊敬するとともに、深い交流を行う。幕府より、京都への想いが強くなる。
徳川最後の将軍は水戸藩出身の徳川慶喜である。慶喜は勝海舟、西郷隆盛の説得に応じて大政奉還、江戸城無血開城を行い、江戸を戦火から守ったと評価されているが、慶喜は光圀以来の伝統、朝廷尊奉の想いが強く、大政奉還を受け入れたのではとこの作品を読んで思った。
光圀は藩主を退いて、黄門を名乗り、全国行脚をしたようにドラマ「水戸黄門」で放送されているが、水戸藩以外には生涯5か所を回ったこと以外は、水戸藩内にとどまった。
全国行脚はドラマで作られた像である。
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上巻で、本来水戸藩藩主になるべき兄頼重をさしおいて、藩主にされてしまった光圀はとんでもないことを考え実行する。
すでに讃岐国高松藩主になっていた兄松平頼重の息子を、光圀に養子としてもらい、自らの息子を頼重の養子にする。
これにより、本来あるべき兄の子孫が水戸藩主につくことを実現する。すごい執念である。
光圀は有名な大日本史の編纂に取り組む。それは、光圀の叔父、尾張藩主徳川義直の影響が強い。義直は言う。
「史書に記された者たちは、誰もが生きて、この世にいたのだ。代々の帝も、戦国の世の武将たちも、名を残すほど文化に優れていた者たちも、わしやそなたと同じように生きたのだ。史書こそ、そうした人々が生きたことを記す、唯一のすべてなのだ。」
光圀は、詩歌で日本一になることを目指す。そして、その日本文化芸術の最高の地は京都である。詩歌で日本一になるには、日本史を習得せねばならないと考える。
そして、思いは、京都へむかう。朝廷、京都一流文化人を尊敬するとともに、深い交流を行う。幕府より、京都への想いが強くなる。
徳川最後の将軍は水戸藩出身の徳川慶喜である。慶喜は勝海舟、西郷隆盛の説得に応じて大政奉還、江戸城無血開城を行い、江戸を戦火から守ったと評価されているが、慶喜は光圀以来の伝統、朝廷尊奉の想いが強く、大政奉還を受け入れたのではとこの作品を読んで思った。
光圀は藩主を退いて、黄門を名乗り、全国行脚をしたようにドラマ「水戸黄門」で放送されているが、水戸藩以外には生涯5か所を回ったこと以外は、水戸藩内にとどまった。
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