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藤沢周平     「市塵」(上)(講談社文庫)

師匠儒学者木下順庵の推挙により、徳川天領地甲府藩の仕官となった新井白石。当時徳川将軍だった綱吉の後を継いだ甲府藩藩主徳川家宣とともに江戸に登り、幕府に老中間部詮房とともに登用され正徳の治を行った新井白石の半生を綴った作品。
白石が「進呈之条」で書いている。

「いにしへを知るといへども、今を知らざれば所謂春秋の学にあらず。」

歴史や古典をいくら極めても、今を知って批判変革できねば、「春秋」を作った孔子の志に悖ると多くの儒学者を批判して、積極的に白石は政道に参画してゆく。
白石の業績も素晴らしかったが、上巻では先代将軍綱吉の悪政ぶりの描写に目が点になった。

  治政より徳目を重んじる政治だった。この場合、治政者が冷酷無比だった場合、政治は苛政の相を帯びる。

 綱吉が将軍だった29年間に取り潰し、減封、免職を受けた藩主、藩は46家にものぼった。

 そして最悪の法律が「生類憐みの令」だ。人間より犬、猫の命が大切という法律。この法律により、処刑されたり、処罰された人は数十万にのぼった。

 噛みつく犬を斬ったため八丈島に遠島になったもの、吹きやでつばめを射落としたために、死罪、流罪になった武家の親子、顔を刺した蚊を手で打ってつぶしたのを見とがめられて、伊東淡路の守は処罰され、一緒にいた朋輩の井上彦八はその報告をしなかった罪で閉門となる。

 江戸の庶民は家の前に水をまくのをやめた。水をまくとボウフラが沸く。それを誰かが踏みつぶすと、家のものが踏みつぶしたと思われ処罰されるからだ。

 そして本命は犬。人々は犬とかかわるのを極端に恐れた。それで野犬が溢れ、幕府は中野に16万坪、大久保に2万5千坪に犬小屋をつくり、野犬を収容した。その数は4万8千7百匹に達した。

 この犬を一日10匹あたり、白米三升、味噌百匁、干井鰯一升を与えて養った。犬の食料は年貢、税金とは別に人々から取り立てまかなった。

 ひどい悪政だが、世界のどこかにこんな国がありそうだし、またちょっと間違えばこんな国になってしまいそうとも思ってしまった。

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| 古本読書日記 | 06:22 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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