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藤沢周平   「義民が駆ける」(講談社文庫)

 天保一揆、天保義民事件といわれている、三方国替え、越後長岡藩への転封を強いられた荘内藩の顛末を作品にしている。

 川越松平藩は借金が膨大になり、お金が底をつき、藩の運営ができないところまで追い込まれていた。そこで、幕府から借りたたくさんのお金を老中に賄賂として贈り、それをてこに当時裕福だった山形荘内藩への転封願いを申し出ていた。川越藩は14万5千石、荘内藩は15万石しかし実際は20万石あった。

 賄賂により、幕府は申し出を受け入れようとしたが、何の理由もなく転封を命令するのはまずいということで、転封対象を三藩で行うことにする。

 川越藩は荘内藩へ、荘内藩は長岡藩に、長岡藩は川越藩にと。しかし、荘内藩は15万石の藩だが、長岡藩は7万石。この転封は荘内藩が大損となる。そのため荘内藩の転封に理由をつけなくてはいけない。

 荘内藩主酒井忠器が酒田を視察した際、酒田の豪商本多が華美な接待をした。当時は老中水野忠邦が「倹約令」を発布していて、これに違反するということを理由付けにした。しかし忠器の酒田接待は、三藩転封を命じた十年前のこと。しかも、接待くらいで転封されるなんてありえないこと。明らかに川越藩の賄賂にこたえるための命令だった。

 ここからが、そんなことあり?の世界が展開される。
何と農民が、百姓たりといえども二君にはつかえずとの声をあげ、長岡への転封に反対してたちあがる。

 そして、百姓が波状攻撃のように次々江戸にでて、老中が駕籠で移動中に、嘆願書をわたす。

 この百姓の姿や意志が強く変わっていく様を簡潔に鮮やかに藤沢が描く。
「百姓たちは、大吹雪の中を何度も強風に転び、腹の底まで凍えながら、髭につららを下げて山を越え、秋田領に抜けた。そのあとも雪に悩みながら、眼もくらむような谷を見下ろす道をたどって、漸くここまで来たのである。彼らは今、その辛苦をいとおしんでいた。それがむなしいものになることに抗っていた。そしてじっさい、彼らは辛苦に鍛えられて、わずかに驚くほど意志強くもなっていたのである。」

 それにしても、藩主がかわるだけで、百姓がこんなに大騒ぎするものだろうか。違和感があり、物語に入っていけない。

 そして、唖然としたのは、百姓たちの抵抗だけの理由ではないが、何と幕府が一旦だした命令を撤回したのである。
 藤沢周平の想像物語も現実ばなれしていると、がっかりしていたら、何とこの物語が実話だったと知り、びっくり仰天。

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| 古本読書日記 | 06:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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