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磯田道史    「龍馬史」(文春文庫)

 大政奉還、薩長同盟成立を実現させたことが歴史的功績としてその名をとどめているが、この2つは、もちろん龍馬でなければ実現していなかったもしれないが、何人も幕末の有力者が持っていた考え方で、龍馬独自の考えでは無かった。

 私は、龍馬の功績は、卓越した考えで実行した、日本で最初の株式会社、亀山社中、海援隊を設立経営したことだと思う。勝海舟の弟子になり、海運、軍艦について学び、船を建造、それに武器を仕入れ、輸送し多くの藩に販売したことは土佐の富豪の血筋をひいているとはいえ、その発想、実行力は群を抜いている。

 坂本龍馬は明治が始まった時には、歴史上の人物としては注目を浴びていなかった。日露戦争直後にその名前と功績が見直され知れ渡るようになった。

  しかし何といっても、坂本龍馬が偉大な人物として社会に立ち現われてきたのは、昭和31年山岡荘八が刊行した「坂本龍馬」そして続く、司馬遼太郎が「龍馬がゆく」が刊行されてからである。特に司馬遼太郎の「龍馬がゆく」大ベストセラーになり、これにより龍馬像が確立された。

 1867年12月10日龍馬は寄宿先の近江屋で、侵入してきた暗殺者集団により殺害された。

 殺害者集団は7人だったが、これが誰かが特定できていない。更にその黒幕は誰かもわからないままになっている。

 新選組、あるいは薩摩藩藩士、土佐藩藩士など色んな説がある。更に船の衝突で莫大なお金を龍馬からむしり取られた紀州藩藩士、驚くのはフリーメイスンなんて説もある。

著者磯田は、日本全国に散らばっている資料をこつこつ発掘、調べ上げ、そのなかで会津藩で京都の松平容保を補佐していた手代木直右衛門が私家版「手代木直右衛門伝」が明治37年死ぬ直前に出版された本に行き着く。

 その本に手代木直右衛門の弟が龍馬暗殺に加わり、その様子が書かれていることを発見する。そして、その謀略の指示者は京都守護職会津藩藩主松平容保の弟、桑名藩主松平定敬だったことを突き止め、実際の殺害者は当時京都の警備をしていた見廻り組だったことに至る。

 恐ろしき歴史家磯田の粘り。

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| 古本読書日記 | 06:20 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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