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久世光彦   「美の死」(ちくま文庫)

 あのテレビ大ヒット作、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」をプロデュース、更に多くのドラマ大賞受賞作品を世に送りだし加えて文筆活動でも名をなした、大物プロデューサー久世の文学エッセイ集。

 久世は2006年に死去している。大物プロデューサーとして名をなし、思い返しても自分が素晴らしい人生を送ったと思っていただろう。

 そんな功成り名を遂げた久世が晩年、変わったエッセイを書いている。

戦争が終わって翌年の冬、久世小学4年生、食糧事情が悪く、みんな痩せていたが、その中でも最も痩せていて、着る物も粗末な女の子が一人いた。立つと体力が消耗ずるのか、昼休みでもいつも坐っていて、何もしゃべらなかった。その子は当たり前のように皆から仲間外れにされていた。久世はこの子を「蝋燭の芯」と呼んでいた。

 ある日クラスのある子が持っていた財布が盗まれた。「民主主義」「自由」「平等」という言葉が流行っていた。先生はその言葉を隠れ蓑にして、自分たちで解決しなさいとクラス委員の久世を指名して逃げた。

 久世は英雄気取りになった。絶対白状させてみせると自己陶酔に陥った。
「蝋燭の芯」を床に正座させ、お前が盗んだんだろうと何回も強く迫る。しかし「蝋燭の芯」はその都度首を横に振る。誰にも言わないから白状して。と懐柔してみてもうんと言わない。

 英雄気取りの久世はたまりかねて、持っていた節分の豆を「蝋燭の芯」に思いっきりぶつける。すると「蝋燭の芯」のスカートの裾から、水が流れだし、教室の出入り口に向かって流れ出す。長い失禁だった。

 結局盗難の件は有耶無耶となり、「蝋燭の芯」は2,3日後に転校していった。
人生大成功を収めた人が、晩年になって小学生のころのこんな苦しい記憶ばかりが浮かんでくる。
「蝋燭の芯」はその後どんな人生を歩んだのだろう。どんなに功成り名遂げても、人生で残るのは痛い記憶だ。

 久世がこのエッセイで最も印象に残っている物語として、明治時代の作家渡辺温の「可哀相な姉」をあげている。

 私も何かの短編集でこの作品を読んだ。そして本当に感動した。何でこんなすごい作家が漱石や鴎外のように知られていないのか疑問に思っていた。渡辺は慶応卒業後雑誌「新青年」の編集長になる。原稿を谷崎潤一郎からもらい、タクシーで帰る途中、タクシーが貨物列車に衝突。脳挫傷で亡くなる。28歳だった。

  そんなことを久世のこのエッセイで知った。

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