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額賀澪    「屋上のウィンドノーツ」(文春文庫)

 例えば恩田陸の名作「蜜蜂と遠雷」という名作がある。この作品は、恩田さんがあるピアノコンクールに通いつめ生まれた作品だ。だから観客の立場から作品ができあがっている。演奏者の表情と立ち振る舞いから、演奏そのものを恩田さんの表現能力の極限まで発揮して迫真の作品になっている。

 それは感動ものなのだが、私には少し物足りなさが残る。視点を変えて、演奏者の立場から演奏にいたるまでの、行動、心の動きを描いてほしかった。そこは、何も拘束するものは無いから、恩田さんが思いのたけ妄想を膨らまし、自由に描くことができる。私は作品を読むとき、作者がどれだけ妄想をめぐらし、妄想が本筋から遊離していなくて、物語がどれほど豊かになったかを意識して読む。

 紹介した額賀さんの作品は高校のブラスバンドの色んな大会への挑戦物語である。

このような作品は、団員の人間関係の問題や、猛練習を克服して、ダメ楽団が最高の栄冠を勝ち取るか、途中で勝ち上がれず残念な結果になるが、高校生には未来があり、ブラスバンドの経験により未来にむかってあゆんでゆくという2つのステレオタイプの物語になる。

 額賀さんのこの作品は、ステレオタイプの物語にもうひとつの重要なテーマを差しはさんでいる。

 主人公の志音は、引っ込み思案で、誰とも交わろうとしない。それを心配した母親が瑠璃という子に志音と仲良くなって友達ができるように助けてやってほしいと幼稚園のとき頼む。それから瑠璃は志音の友達として、常に志音といるようになる。

 志音は有難いと思うが、例えば中学校のとき、昼ごはんはいつも5人で食べていたが、会話は瑠璃と志音、瑠璃と他の3人でなされるだけ。他の3人は、瑠璃が変わり者の志音といるのかと瑠璃を非難する。

 私たちは、一人で、誰とも交わらずに孤独に見える人間を、常に変わり者、気の毒と思うが、志音自身は少しもそんなことは思っていない。気にしていない。

 素晴らしいと思ったのは、市内高校が集まってブラスバンド研修が行われたとき、孤独の志音を気にして、色々瑠璃が気を遣う。すると志音が声をあげ「もう放っておいてよ」と大声で叫んで瑠璃から離れようとする。

 瑠璃は幼稚園から懸命に志音を支え、最大の友達として振る舞ってきた。志音は自分に寄りかかってここまでやってきたと思っていた。

 衝撃を受けた。そして驚くことにそれからは瑠璃が志音によりかかるようになる。
ステレオタイプのありきたりの物語を打ち破り見事な世界を額賀は読者に提示してみせた。

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