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鈴木伸子   「大人の東京散歩 昭和を探して」(河出文庫)

 東京は生涯関わることなく過ごすことになりそうだ。もちろん、しばしば出張にはでかけたが、日帰りが殆どで、東京で過ごすということは無かった。

 初めて東京に行ったのは、昭和30年代の前半。村でセロリを初めて栽培したので、それを売り込みにみんなで行ったときについていった。

 後楽園球場に行くと、巨人が練習をしていた。新人の王はまだ2本足で打っていた。

ちばてつやの「ちかいの魔球」が流行りみんな少年は読んでいた。「ちかいの魔球」では、投げた球がバッターの手元で止まり、それから浮き上がったり、球が消えたりした。

 当時のエース中村稔が目の前で投球練習をしていた。田舎の無垢な少年だったので、消える魔球を投げろとか大きな声で中村稔に叫んでいた。そしたら、強面のコーチ、別所がやってきて、「うるさい!」と叱られた。

 当時フランク永井の歌った「有楽町であいましょう」が大ヒットしていたので憧れの有楽町へも行った。
 人は多かったが、まだ戦後の闇市の跡が残っていて、田舎とあまり変わらないなあと思った。

 今は西新宿に移転したが、東京都庁が有楽町駅前にできたばかりだった。

鈴木さんのこの本によると、東京交通会館が昭和40年に竣工。この会館の最上階には回るレストランがあり名所となったそうだ。
交通会館の隣には「すしや横丁」という飲み屋街があり、飲み屋と寿司屋が鈴なりのようにして集まっていた。

 かって、有楽町には朝日、読売、毎日の三大紙の本社があり、記者が横丁でくだをまいていた姿があった。

 そのころは、ふらっとやってきた人のたれこみがあり、スクープを物にしたことがしばしばあったと古い記者は言う。今はどうしてスクープがとれないのかと聞くと、本社のビルには警備員がいて、たれこみをしに来る人をシャットアウトしてしまうからスクープが取れなくなったと嘆く。

 そんな東京の人間臭い匂いがどんどん無くなる。東京に縁無く暮らしてきていると、最近ますます東京が遠くなってしまった氣がする。

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| 古本読書日記 | 06:23 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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