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司馬遼太郎   「三浦半島記 街道をゆく42」(朝日文庫)

 武士が時代の前面に出てきて誕生した鎌倉時代について描き、史跡地を散策する。

鎌倉時代、源頼朝ひき続く北条執権時代、この作品を読んでも、世の中をどのように統治したのかよくわからなかった。首都鎌倉もどんな感じの街だったのかもつかみにくかった。ただ、鎌倉時代は、その前の平家、大和朝廷時代に比べ、殺害事件や武士を反映して自害する話ばかりで暗くアナーキーな時代だと感じた。

 保元の乱で、崇徳上皇と後白河天皇が争う。結果後白河天皇が勝利するのだが、その戦力となった平清盛、源義朝、褒章が清盛に多かったため、不満に思った義朝が平治の乱を起こす。しかし義朝は負け、逃走途中の尾張で謀殺されるが、嫡子であった頼朝は殺害されず、伊豆へ流罪となる。

 だから頼朝の青春時代は、伊豆鎌倉にあった。

土地の有力で最大の豪族だった北条家の娘政子の縁談が持ち上がった。北条では、時の目方(地方を統治する今の知事のような役)平兼隆に嫁がせることにして、兼隆が寄宿している一気館に政子を送り出す。
しかし、政子は頼朝が好きだった。

 豪雨の中、政子は一木館を抜け出し、頼朝が幽閉されている伊豆山権現を目指す。
この時の様子を司馬が「吾妻鏡」に従って描く
 「まず、伊豆の脊梁山脈を越えねばならず、途中、雨のために川があふれていた。夜陰、腰まで水につかりながら川を押し渡ってゆく。」

 この時代、家長が決めた嫁ぎ先を拒否することなどありえなかった、政子はとてつもなく芯が強い女だった。

 頼朝に結局嫁ぐ。しかし頼朝は43歳で死ぬ。その後女尼になるが頼朝に代わり執権となる。後鳥羽上皇が倒幕にたちあがり承久の乱がおこる。政子63歳の時である。多くの武士が集まったが、まだこの時代朝廷にそむくことは、武士には恐怖があり、立ち上がることには逡巡していた。

 そこで政子が言う。
「汝らは、むかしのみじめさや、つらさを忘れたか、そこからすくいだした幕府の恩をわすれたか」
 と大演説をして、武士を立ち上がらせた。

すごい女性のリーダーだ。卑弥呼の実像はわからないが、歴史上最高の女傑であり、真のリーダーである。

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| 古本読書日記 | 07:08 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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