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司馬遼太郎   「北海道の諸道 街道をゆく十五」(朝日文庫)

 司馬の「街道をゆく」多くを読んできたが、司馬といえども知識関心の薄い街道も多く、歴史的なバックグラウンドを少ししか語らず、訪ねた場所での市井の描写が多い作品も多々ある。

 しかし、この作品は司馬の北海道の成り立ちの知識が如何なく発揮され読み応え十分な作品になっている。

 2点が印象に残る。

 19世紀初頭、ロシアの使節団レザノフは、幾度となく長崎にやってきて幕府に対し開国するよう迫る。しかし幕府が拒否。これに怒ったレザノフは部下のフォストフ大尉に対しロシアの武力をみせつけてやれと指示する。

 フォストフはその指示に従い、北海道や日本の領土だったエトロフ島に繰り返しやってきて、戦いをしかける。当時北海道を治めていた松前藩兵は怖がりなすすべもなく逃げ回る。

 フォトレフ部隊は暴虐の限りを尽くし人質として住民を拉致する。

 幕府はその攻撃に震えあがり、列強の国々に対する恐怖を植え付けられた。それから半世紀後、米国艦隊の黒船がやってきた。幕府は開国に踏み切った。その背景にロシアの攻撃が焼き付けられていたことがあった。

 北海道の開拓は明治政府にとっては重要な政策だった。屯田兵など入植させても、インフラである道路がなく、耕地開拓は不可能、そのためのインフラ構築が最重要課題だった。

 タコ部屋と言う言葉がるが、他雇がその語源とされている。これは普通の人間と全く異なる人間。ひらたく言うと奴隷のことを言う。

 このインフラ構築のため労働者が必要となった。その人間を集めるため江戸で口入屋が活躍した。明治維新直後、東京には多くの、底辺を這っている、武士崩れの浪人がいて、彼らをだまし、北海道に送り込んだ。しかしそれでも足りない。

 その時、明治政府で法律作成に力を発揮した金子堅太郎が言った。
「囚人を使いましょう。彼らは死んでも構わない。政府の出費の倹約にもなる。」
 大量の囚人が動員された。

 彼らは、極寒のマイナス30度のなか薄着物一枚しか着ていなかった。
どの囚人も、腰を鉄の鎖で縛られており、鎖は二筋になって、両足の足元までのび、その先端に一個ずつ大きな鉄丸が結び付けられている。

 タコ部屋というのは、丸太棒が部屋に貫かれている。囚人やタコたちはその棒を枕にして眠る。朝になると管理人が丸太棒を槌でたたいて、奴隷を起こす。

 囚人のうち2割が倒れ死んだ。
この悲劇は吉村昭の「赤い人」で克明に描かれ、強い印象を受けたことを思い出す。

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| 古本読書日記 | 06:01 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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