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司馬遼太郎  「十津川街道十二 街道をゆく」(朝日文庫)

 江戸時代半ばまで、「古事記」「日本書紀」殆ど知られていなかった。江戸後期に本居宣長が「古事記伝」を著すことにより、著書の存在がひろまった。

 カムヤマトイワレヒコは神武天皇のことだが、この人物は「古事記」「日本書紀」以外にはどの文献にも登場しない。

 神武天皇は日向のあたりからでてきて、瀬戸内海を進み、やがて大阪湾から上陸し、河内平野にわけいり、やがて生駒山を越えて大和の国に入ろうとしたが、土地の酋長長髄彦に阻まれ、退却した。捲土重来を期し、紀伊半島の先端に廻り、そこから、熊野山を越え、十津川の山脈を超え北上、大和盆地を搦め手からはいり、大和の平定に成功した。

 明治政府も昭和にはいってもこの神話を利用する。節目は昭和15年。ノモンハン事変。ロシアに負け、ここで悪名高き参謀本部は、西暦開始年より660年前、神武天皇が大和を平定した年を日本の建国記念日とした。

 十津川の渓谷は、最近まで、道らしい道は無く、谷をわたるつり橋もなく、「やえん」という方法で谷を渡っていた。

 山と山の間にロープを渡し、辻篭のようなものをつるし、それに乗り移動していた。
とても、そんなところは古代人間が歩いて渡れるところではない。

ところが、神話に基づいて、神武天皇を祭る神社として、橿原神宮が建立された。橿原神宮は古代からあったのではない。明治23年に明治政府によって創立されたのである。

 司馬遼太郎はかなり怒っている。神話による日本国家の紀元の日を神話に基づいて決めたことを。

昭和15年、司馬は橿原神宮の改修工事に強制動員されている。それも怒りの原因になっている。司馬は多くの作品で、国会行政憲法の権限より大きな権限を参謀本部が持ったことに怒りまくっている。 

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| 古本読書日記 | 06:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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