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藤沢周平   「回天の門」(文春文庫)

 江戸末期、山形庄内藩に生まれた郷士であり酒蔵で富豪の斎藤家長男で希代の山師、策士と言われた清河八郎の生涯を描く大長編。

 この作品で知ったのだが、将軍徳川家茂が江戸より上洛するとき、幕府は警護として浪士を募って上洛したのだが、その中に新選組となる、近藤勇、土方歳三、芹沢鴨などがいた。 浪士を募ることを幕府に建策したのが清河八郎だった。しかも清河は、集めた浪士たちに尊王攘夷をとなえ、倒幕をすることを求めた。そこで賛同した集団を浪士組と言った。

 その時当然ながら、近藤勇らは、佐幕派であり新選組を結成、家茂が江戸へ帰還する際その警護のため随行はしないで京都に残った。

 清河ら浪士組は、横浜で将軍を殺害する計画をたてたが、これが事前に漏れ、幕府の随行員に殺害され清河はわずか34歳の生涯を閉じる。

 明治維新と言うと、坂本龍馬や西郷隆盛など西国の志士ばかりを注目するが、まさに倒幕、明治維新に向かって大きく門を回天させたのは清河であると藤沢は描く。

 もうひとつ成程と思ったことがある。

徳川楽冨がその権威を失い凋落の坂を下りはじめたのは何時からかかということ。

ペリーの黒船がやってきて和親条約締結を強要してきとき、時の老中阿部は条約締結の決断ができず、どうすべきかを大名に意見を募った。もちろん過去にも大名に意見を募ったことはあったがその相手は譜代大名までだった。しかし、初めて幕府は外様大名まで意見を募る。

 そしてその後ハリスが通商条約締結を強要しに日本にやってくる。他の列強国も通称条約締結を迫る。阿部の後を継いだ老中堀田は何とどうすべきかをわざわざ上洛までして朝廷にあおいだ。

 この瞬間に権力は180度回天した。この堀田阿部の責任回避が幕府凋落のきっかけだった。

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| 古本読書日記 | 05:56 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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