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藤沢周平   「風の果て」(下)(文春文庫)

 会社に入ったころは、いつも7-8人の仲間がいて、遊びや酒飲み、会社に対する批判を大声で言い合い、夏冬の旅行をつるんでやっていた良き青春時代だった。

 そんな仲間が、一人、二人と海外駐在になるようになり、帰国すると地位も得て、仕事も多忙となり、全く昔の仲間の交流が無くなった。

 片貝道場の同僚、主人公の上村隼太(後の桑山又左衛門)、野瀬市之承、杉山鹿之助、三矢庄六、寺田一蔵の5人は道場だけでなく、勉学も遊びもいつも一緒互いに大切な友達と認識しあっていた。この中で、杉山は元執政(老中、家老)の家柄で1000石の報酬を得ていて別格、残りの4人は登城する必要のない部屋住み家臣で報酬も160石から35石の下級武士だった。

武士の身分にも公務員のキャリアである上士とノンキャリアの下士の二つに完全に分離生活も職務も区別され、上士と下士が交わるということは殆ど無かった。だから遊び代、飲食代は殆ど上士の鹿之助が持っていた。下士の長男は家督を継げるが、次男以下は災難だった。同じ下士で女性の子しかいない家を探し、そこに婿入りするか脱藩し浪人となり、自ら食うための仕事を探すかしか生きていく方策がない。この2つの方法からあぶれる独身のまま長男の家に寄生する身分となりこんな独身は厄介叔父と言われ蔑まれる。

 上村隼太は大蔵が原という不毛の地の開墾を上士である桑山孫助の支援もあり成功させた。普通はありえないが上士の桑山の娘満江と結婚し、桑山家に養子にはいり桑山又左衛門と改名する。そこからスピード出世をして、片貝道場の仲間であった杉山鹿之助を凌ぎ、筆頭家老にのぼりつめる。そんな時に昔の道場仲間の野瀬市之承より決闘果たし状がくる。

 野瀬は何故又左衛門に果たし状を送ったのだろうか。作品では色んなにおわすことは書かれているが、明確にはしていない。

 野瀬の人生は、輝かしい又左衛門に比べ、暗くみじめなものだった。同じ仲間だった一蔵が殺人を犯し、脱藩逃走。それを追っかけ殺害することを藩から命ぜられる。大の親友だった仲間を殺すことは辛かっただろう。それから武士閣僚の異例の出世には必ず殺しが伴った。野瀬は暗殺者として勤めをさせられ、陰の扶持をもらって多くの武士を殺害した。

 果たし状を又左衛門に送ったとき、野瀬は不治の病に陥っていて、老い先短い人生になっていた。明るく輝く道を歩むかっての仲間又左衛門に比し、自らの人生はあまりにも暗く辛すぎる。死ぬのなら最後又左衛門と切りあい死にたい。わかる心情だ。

 私の青春の時の会社仲間、今は殺害なんてことはできない。かっての会社仲間から社長がでた。久しぶりに集まって明るく社長就任のお祝いをした。

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| 古本読書日記 | 11:35 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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