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司馬遼太郎   「戦国の忍び」(PHP文庫)

 忍者というのは、伊賀甲賀のまわりの国から3歳くらいの男の子を買ってきて、上忍という庄屋も兼ねている者から修行を受け、10歳くらいで物になると判断されたら、下忍として抱えられ忍者となる。厳しい修行に耐え抜いて忍者となるのは10人中2人程度。

 忍者雇用の要請は上忍のところにくる。上忍は、要請内容に応じて下忍から選出し藩に派遣する。その任務が終了すると、また伊賀や甲賀の里にもどり、百姓小作として働く。

 上忍は藩より雇用給金を入手、その中からわずかなお金をぬきだし下忍である忍者に与える。
 小作と給金だけではとても家族は養えないため、忍者は生涯独身で過ごす。ある年齢に達し、忍者ができなくなっても、上忍は年金のような小金を支給して生活を支えてあげる。

 忍者は映画やテレビなどで、恰好よく描かれるが、実態は最下層の暮らしを生涯続ける辛い身分である。

 徳川家康は、敵の調査や攪乱のため忍者を多用した。姉川の合戦や関ヶ原の戦いで服部半蔵率いる伊賀忍者200人を使い、戦を勝利に導いた。

 その忍者の貢献に報いるということで、200人は直参の武士として雇い入れた。そしてそのリーダーは服部半蔵が継続してなった。

 直参だから俸禄は個々の忍者に徳川幕府が直接支払う。半蔵が亡くなり、リーダーを息子の小半蔵が引き継ぐ。
 この小半蔵がひどく、部下である忍者たちに嫌われる。その対立が激しくなる。小半蔵は部下の忍者に殺されるのではないかと不安になり、忍者たちをしめあげる。

 年がら年中屋敷の普請を行うのである。普請作業をする忍者たちには給金は無いどころか、普請用の材料費まで忍者に負担させる。

 これでは忍者は江戸での暮らしが成り立たない。さりとて、伊賀に帰ってもみじめな暮らししかない。それでヒダリという忍者をリーダーにして小半蔵を殺害することが計画実行される。忍者版「忠臣蔵」である。

 殺害実行の前に、忍者たちは幕府にいかに小半蔵の行為がひどいかを訴える。
通常はこんな訴えは無視されるのだが、幕府はこの訴えを取り上げ、小半蔵を最後に服部家を潰す。忍者側はリーダーのヒダリが死刑になったが、他の忍者は無罪放免となる。

 司馬は昭和30年代にこの小説集を書いている。当時彼は小さな新聞社に勤めていたが、どんなにスクープ記事を書いても、記事は無記名で単なる物になってしまう。評価もされず、こきつかわれるだけ。その悲惨な状態をこの物語集に込めた。

 しかし、我々が現役のころは、上司への批判を直接上司の上司に訴えることはありえず、またそんなことをすれば自分を滅ぼすだけ。

 忍者が幕府に直訴するようなことは、昭和30年代の職場ではありえなかった。今は、パワハラとかモラハラなんて言葉が流行して、訴える道は細いながらできるし、対応を間違えれば、訴えられて上司が、その身分を破滅させられるようにもなった。

 江戸時代、昭和30年代から比べれば、状況は変わってきた。

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| 古本読書日記 | 07:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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