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司馬遼太郎     「項羽と劉邦」(上)(新潮文庫)

 紀元前221年、それまでの戦国時代に終止符をうち、中国6国を征服して、史上初めて統一国家秦が樹立された。秦の始皇帝の名は政である。しかし、始皇帝の死後、急速に統制力が弱まり、陳勝・呉広の反乱がおきると再び戦国時代に突入した。物語は沛のごろつきから身を起こした劉邦と、楚の猛将項羽が天下を争い、連戦連敗の劉邦が最後は項羽を破り、劉邦が統一国家漢を樹立する直前までを3巻にわたり描く。超大作である。

 秦の首都は中国の西奥にはいった陜西省の威陽である。この街に入るには、多くの峻厳なる山谷、函谷関を越えねばならない。

 上巻では、秦が誕生して、始皇帝が亡くなり、その後秦の将軍章邯、項羽、劉邦の3者の戦いを描き、章邯が破れ秦が消滅するのだが、函谷関を越え、威陽に入ろうとした項羽軍に対し、南ルートより威陽にすでにはいっていた劉邦軍が函谷関の出口に壁を築き、項羽軍の首都への侵入を邪魔するところまでを描く。

 この上巻で印象的だったのが宦官の超高の行動である。

 宦官というのは、皇帝の側にいて皇帝の世話をしたり、皇帝の命令を官僚に指示したり、官僚からの上奏をとりついだりする役人である。宦官は、睾丸を削除していて、男としての役ができない。そのため、人間とはみなされていない。

 例えば、皇帝の夜伽をする側女を全裸にして危険佛を持っていないか検査をする。さらに夜伽の最中も側にいて、危険なことが起きないか見張っている。そんなところを見られても、全然皇帝、側女はまったく気にならない。なぜなら宦官は人間ではないから。

 天皇は自分のことをかっては「朕」と言っていた。「朕」というのはきざしということである。実像は人間には見ることはできない。きざし、気配だけを感じるだけの存在ということである。

 ということは、天皇もそうなのだが、皇帝は絶対人間に見られたり、声が聞こえたりしてはならない。

 そこを超高は使い、皇帝はこう申しておると勝手に皇帝の名を使い命令をしたり、考えを伝える。始皇帝の政には男女あわせて30人の子供があり、当然二代目は長男の扶蘚が継ぐべきなのだが、始皇帝の遺書まで書き換えて、自分が御しやすい末っ子の胡亥を二代目にしてしまう。

 驚くべき宦官超高である。

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| 古本読書日記 | 06:28 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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