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司馬遼太郎   「秋田県散歩 飛騨紀行 街道を行く29」(朝日文庫)

 街道シリーズ29巻目。正直他の紀行記よりだいぶ情熱と探求心が薄く、あまり力のない作品となっている。少しマンネリ化してきたのかと思わせる。

 今年の夏、高校野球を沸かせた金足農業の吉田投手。この金足農業は秋田県にある。そんなことでもなければ、秋田県というのは影が薄い。秋田県と思ってすぐ浮かぶのは美人が多いこと、悪いほうでは自殺者が多いこと。

 数年前、こんな影の薄い秋田県というところはどんなところだろうかと友人と旅をした。
酒とつまみのジュンサイが本当に美味しかった。

 秋田県が登場したのは私が子どもの頃、八郎潟を大干拓して膨大な水田耕地を造ったことだ。田植えはどうだったか覚えていないが、コンバインという見たこともない機械で、稲を一斉に刈り取ることには驚いた。

 当時日本のどこでも田植え、稲刈りは小さい田圃で多くの人手で細々と行われていた。水田を耕すトラクターも登場していたが、馬力の小さい小型の耕運機や牛馬が使われていた。それを八郎潟干拓地の大潟村では、私たち田舎の田圃の10数倍もある耕地を大型機械で農作業をする、とても日本の農村風景とは思えなかった。

 この干拓事業は、少なくても米だけは日本国民全員に行きわたらせようという目的で昭和27年に始まった。

 日本の米事情は昭和30年の大豊作で変わった。米があまり出したのである。その後ずっと豊作が続き、余剰米が積みあがっていった。

 今は違うけど、当時米は農業を支えるため、政府が全量買い上げ、それを安く販売していた。
このため、膨大な赤字を政府はかかえ大問題になった。

 通常はこうなると、干拓事業は止まるものだが、一旦方針がきまり事業を始めると、途中で止まることがない。

 驚くことに、干拓が終了し、大潟村の入植がはじまったのは昭和42年からである。この年には、米はたくさん余り、問題となっていた。司馬はこの作品で米問題を鋭くついている。

 米が自由売買になったが、米どころ秋田は頑張っている。ひとめぼれ、あきたこまちは本当に美味しい。そして秋田米からつくるお酒もおいしい。

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