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司馬遼太郎   「坂の上の雲六」(文春文庫)

 司馬は物語のなかで、戦争について語る。
戦争は、勝つ戦力、体制を準備した後で行うもので、これが整わない間は戦争にうってでてはいけない。

 ごくまれに、奇策、特異な戦術を持って、圧倒的戦力を持つ敵を打ち負かす例があり、これに対し拍手喝采を送る場合があるが、こんなことは本当にまれ、家康、信長でも(桶狭間の戦いは除く)、多くの領主と同盟を結び圧倒的戦力を持つまで我慢して、その後に戦争の火ぶたをきっている。

 この司馬理論にあわないのが、日露戦争である。兵力、戦力ともに圧倒するロシアは日本と戦争して何故負けてしまったのか。

 明石元二郎という軍人がいた。士官学校時、仏語の成績が抜群で外国語の習得力が高かった。この明石を、在露日本公使付としてロシアに送る。そして日露戦争が始まる直前に総合軍事参謀の児玉源太郎による電報指示がある。内容は
①ロシアにてスパイ活動をせよ
②ロシアの革命を指導せよ
その資金として百万円が送られる。明治時代の1円は現在の2万円といわれている。ということは200億円。途方もない大金である。

 首都ペテルブルグでロシア語を習う。どういうきっかけがあったのかわからないが、革命家レーニンと知り合い親交を深める。

 当時ロシアは領土拡張主義でポーランドとフィンランドを制圧、支配下においていた。明石はロシアからスウェーデンのストックホルムに移る。ここで、フィンランド過激反抗党の党首シリヤスクと知り合い、更に彼を通じて「フィンランド憲法党」党首カストレンとも知り合う。彼らの人脈で、ロシア軍将校や労働運動家たちと知り合い、彼らに金を与えスパイとして使う。

 またシリヤスクやカストレンにも活動資金を与え、革命達成のための支援をする。そして、明石の発案で多くの同じ志を持った政党が集まりパリでロシア政府打倒の集会を開催する。それを契機にロシアで労働者や農民たちの専制君主体制打倒の活動が発生。そして血の日曜日が起きる。これらの活動のいくつかには、明石の資金が流れている。

 当時のロシアはニコライ2世が国を支配。ニコライ2世と貴族は土地と人民の私有をしていた。人間は動物、家畜と認識されていた。だから大部分の人々は悲惨な生活を強いられ、ニコライ2世の専横政治に対しマグマが爆発寸前まできていた。

 他国では、ロシアの体制は破壊されると認識されていた。

 この状況では、日本が戦力で劣っていても十分勝機はあった。
革命の過程で明石の名前は登場しないが、彼と日本のお金がその原動力になっていた。

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