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司馬遼太郎    「坂の上の雲 三」(文春文庫)

 明治35年9月19日に正岡子規は亡くなる。そして、明治37年2月4日御前会議にてロシアとの戦争を決議、6日に国交断絶をロシアに通告、戦争に突入する。

 海軍は旅順に向かい、陸軍の第一軍は朝鮮半島に上陸、第二軍は遼東半島に上陸。日露戦争の火ぶたがきられ、海軍の旅順近郊での戦いまでを三巻では描く。

 この作品は昭和43年から47年まで産経新聞に連載され、大ベストセラーになった。当時は企業での組織論、戦略、リーダーのあるべき姿が高度成長を背景にサラリーマン世界で沸騰していた時代、この作品も、そんな雰囲気にのり、戦場におけるリーダー、戦術が中心に描かれた作品だった。

 しかし、戦争における大きな負の側面は殆ど描かれない。唯一語られる部分が一ページだけある。

 日清戦争の最中、明治28年の軍事費は九千百六十万円。翌29年は平和時代だったのに2億円と倍以上に膨れあがる。総予算の軍事費の割合が28年32%なのに翌年は48%になる。そして驚くことに30年には55%を占めるまでになる。想像不可能な予算である。

 司馬は描く。どうしてこんなことが可能だったのか。

 「ひとつは日本人は貧困になれていた。この当時、子供は都会地の一部を除いては靴を履く習慣もない。手製のわら草履かはだしであり、雪国の冬のはきものはわら靴でこれも手製である。こどもだけでなく、田舎ではおとなもほぼそうであった。
 食物は米と麦とあわ、ひえで、副食物のまずしさは話にならない。
その上、封建的な律儀さがまだ続いており、ひとびとは自分の欲望の主張をできるだけひかえることを美徳としていた。」

 もちろんこの作品は、明治期の坂の上の雲をめざす、軍人、政治家の群像を描く作品だから仕方ないとは思うが、こんな表層的な表現で負の部分をおさめてしまっていいのだろうかと考えてしまった。

 ごく一部の人を除いては、貧乏なひとびとであり、飢餓で死んでしまうひとや、その貧しさに子供の間引き、女衒に女の子を売り渡すことも多かった。

 たくさんの人々の犠牲の上に戦争が行われたことに間違いない。明治のリーダーたちは称揚されるほど立派だったのだろうか。

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| 古本読書日記 | 06:02 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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