FC2ブログ

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

司馬遼太郎   「豊臣家の人々」(角川文庫)

 貧農の家に生まれた秀吉は関白となり天下をとる。それは、貧農の身にあまんじ、ひたすら百姓を生涯の仕事としている、家族、親族の運命を大きく変えることになった。それが、豊臣家滅亡への予兆となった。甥の関白までになった秀次、宇喜多家から迎えた養子の秀家、息子の秀頼など、豊臣家を彩った人々の盛衰を描いた物語。

 そもそも豊臣家の家族とはどんな人たちだったのだろうか。

 秀吉の母はお仲と言った。尾張の中村で百姓をしていた。縁あって隣村の弥右衛門という同じ百姓に嫁ぎ、息子を授かる。それが後の秀吉である。その風貌から村では秀吉は猿と呼ばれた。

 お仲の夫、弥右衛門が重い病のため他界する。その時、隣の家に風来坊の竹阿弥がいた。間にたつ人があって、お仲は竹阿弥と再婚する。そこに、息子が生まれる。小太郎である。

 秀吉は幼い頃から手がつけられない粗暴で、背丈も小さく、容貌も悪く、手が付けられない子供だった。新しい竹阿弥をどうしても父と言えず、そんな家に嫌気がさし、家出をする。

 小太郎は可愛らしく性格も穏やか。しかし秀吉が長男だから家は秀吉がつぐことになる。母お仲は、秀吉がどこへ行ったのか行方知らず、心配はしていたが、彼があらわなければ小太郎が家督を継ぐことになる。そのほうが安心だとも思っていた。

 ある日放浪していた秀吉が突然田舎に立ち現れる。駄馬に乗った貧相な武士になっていた。秀吉は小太郎を武士になるよう説得。小太郎は両親もいるし、武士の世界など知らないので断ったのだが、その説得は執拗で、とうとう抵抗できず秀吉とともに村を後にする。

 それから20年、小百姓の母親お仲は、大阪城で夥しい数の侍女にかしずかれていた。秀吉の妹は、ある大名の息子に嫁いでいた。そして小太郎は秀長と名前を変え播磨・田島の2国を治める領主となっていた。

 お仲は武士家の作法になじめず、大便はトイレではせず、庭の砂場でする。それを侍女が拾っている。

 お仲が聞く。おまえたちが拾っている糞は、肥しに使うのかと。侍女が答える。「いえ違います。侍医のところに持っていて、お仲さまに病気がないか検査しているのです。」と。

 秀吉と正妻寧々の間に子供ができなかった。だから弟小太郎秀長を後継ぎにしようとしていて、秀長を愛した。しかし51歳、大和の領主だったとき病に倒れ亡くなってしまう。

 秀吉は後継者を失い茫然とする。この時を境に豊臣家滅亡の歴史が始まる。

 秀吉には武家の係累を持たなかった。家臣はすべて、秀吉を乗り越え天下をとろうとする野心を持っている。秀吉が亡くなれば、それを継ぐのにふさわしい武家風情を持つ人がいなかった。秀吉の悲劇である。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 06:36 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT














PREV | PAGE-SELECT | NEXT