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司馬遼太郎  「本所深川散歩 街道を行く36」(朝日文庫)

 私は信州諏訪の生まれ、高校のOBに岩波茂雄がいる。言わずと知れた岩波書店の創始者である。

司馬遼太郎はこの作品で何回か言っているが、信州人は意固地であると。意固地かどうかはわからないが変人が多いことは認める。

 明治36年5月22日にわずか16歳の青年が華厳の滝に身を投じて死ぬ。藤村操である。

遺書に有名であり流行語ともなった「人生は曰く『不可解』」という言葉を残して。この遺書が収められている「巌頭の感」に刺激され、読みながらしょっちゅう岩波は泣いていた。

 ある同級生と雑司ヶ谷にある一軒家にこもり、「巌頭の感」を読みながら大声で泣くので、この家は「悲鳴館」と呼ばれていた。

 岩波茂雄は私のいた高校(当時は中学)をでて、家出同然で東京にゆき第一高等学校にはいる。2度続けて落第し退学したが、その後東京帝大にはいり3年後に卒業。そして女子高等学校の先生をする。

 神田で大火があり、古書店の多くが消失する。いちはやく書店を新築した尚文堂の手代に進められて、隣の家を借り、古書店を始める。

 古書店では飽き足らず出版をてがける。友人の安倍能成らに執筆してもらい「哲学書肆」を出版。とても売れそうにはない本だったが驚くことに9万部以上売る。この成功により岩波書店のカラーは決定し今日まで続く。

 安倍は漱石の門下生。そのつながりで岩波も漱石の家に出入りする。当時漱石の本は春陽堂か大倉書店より出版されていた。漱石が「こころ」を出版するとき、岩波は強く岩波書店からの出版を漱石にお願い。漱石が了解するが、出版費用が無い。それでその費用を漱石に用立ててもらう。

 漱石が亡くなったとき、葬儀に岩波は出席した。その時、厠で足を踏み外し、這い上がったところをみんなに見られた。

 やっぱり、信州人は意固地で変人であると、この作品を読んで再認識した。

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| 古本読書日記 | 06:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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