FC2ブログ

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

司馬遼太郎    「城塞」(上)(新潮文庫)

 昭和44年から46年にかけて「週刊新潮」に連載された、「関ケ原」に続く家康シリーズの2作目。日本国内戦争史上最も多くの戦死者をだしたといわれている、大阪冬の陣、夏の陣を扱っている。

 物語を動かしている小幡勘兵衛と豊臣秀頼の侍女お夏は架空の人物なのだが、その他の登場人物はすべて実在した人物である。

 主人公は大阪城。その巨大さは想像もつかないくらいで、読んでいてもよくわからない。外堀、内堀がはりめぐらされ、その外に巨大な外壁が覆う。大量の食糧を備蓄して籠城すると、その城を打ち落とすことは不可能か長い年月を要する、まさに落城不能な城と考えられていた。

 関ケ原の戦いで勝利し、天下人になった家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開く。しかし、その数年後将軍を息子の秀忠に譲り、自らは駿府城に移り、院政を敷く。

 家康の心配は、自分が死んだら、豊臣家や、反徳川の大名が反乱を起こし、徳川幕府が消滅するのではということ。そのためには、豊臣秀吉の嫡子である秀頼を殺害し、豊臣家を滅亡させる。しかも、他大名が反乱を起こさないように方法は世間が納得できる方法でなければならない。そのために、家康は謀略を綿密に練る。

 家康は、まず、滅亡した武田家の遺臣で、秀忠に仕えていたが、武芸軍略に優れていた牢人である小幡勘兵衛を豊臣側にスパイとして送り込む。

 当時は、自軍にスパイが潜んでいることは当たり前。多分豊臣側の人間で半分はスパイであったのではと考えられている。このスパイにより、家康は豊臣側の状況がリアルに近く把握していた。

 家康が謀臣本多正純に言う。
「城というものは固いものだ。正面からゆけばたたこうと突こうと崩れない。それよりも城の中味を腐らせ、水がでるばかりに饐えさせてから、ゆるりと攻めにとりかかるものだ。」

 その時の大阪城内は、秀吉の正室である寧々は僧となり城をでていて、秀頼を生んだ側室の淀君と、淀君の乳母や、侍女たちが権力を握っていた。更に、執権の最高責任者は、淀君の乳母が生んだ大野修理がついていた。

 大野は総大将になったりリーダーを務める力はない。家康は実現しなかったが、この大野修理さえも自分のスパイにしようと画策した。

 家康の目的、大阪城内を腐らせるには、大阪城内はおあつらえむきの人間たちばかりだった。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ



| 古本読書日記 | 06:01 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT














PREV | PAGE-SELECT | NEXT