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司馬遼太郎   「世に棲む日々(一)」(文春文庫)

 幕末初期、長州の思想家吉田松陰と、松陰を師として仰ぎ、奇兵隊を結成して活躍した倒幕の志士高杉晋作の生涯を全4巻の長編で描く。

 松陰は山口の萩松本村で生まれる。山鹿流兵学師範である吉田大助の養子となり、吉田の嫡子として山鹿流兵学を学ぶ。その後、大助が亡くなり、叔父の玉木文之進が開塾している松下村塾で指導を受けるのだが、アヘン戦争で清国が敗れたことを知り、山鹿流兵学が通用しないことを知る。それで新しい兵学を習得のため長州藩より江戸に派遣された直後、ペリーの黒船がやってきて、驚天動地するまでを第一巻では描かれる。

 松陰が天才的に頭脳が優秀で、しかも、常になにがあっても明るく、子供のように人なつっこいところがあったことはわかったが、彼の天才的思想がどんなものか、それが維新を生む思想的バックボーンになっているのかはよくわからなかった。

 信州の松代藩で先進的思想家である佐久間象山と出会い、象山を思想の師と仰ぐが、ここも象山のどこに感銘したのかがもうひとつわからない。

 嘉永5年同志の宮部鼎蔵らと東北旅行を計画するが、通行手形を入手してないまま、旅行を挙行する。これは法律違反。そこで松陰は長州藩を脱藩して旅行にでる。

 脱藩は、当時は死罪に値する犯罪。その累は家族親族まで及ぶ、大罪である。
松陰の思想がわからないため、何故そんな危険まで犯さねばならないのか理解できず、すこしいらいらする。

 ペリーが浦賀に来て、鎖国の日本に閉じこもっていては、将来は開けないと思い、長崎にプチャーチンが率いる艦船が寄港していることを知り、この艦船に潜り込み、ロシアに行こうと決意実行する。直後、ロシアでクリミア戦争が勃発。艦船はそのため長崎を離れロシアにむかい、松陰は思いを果たせなかった。

 思想の核心はよくわからなかったが、国を変えねばという熱い情熱が、さまざまな行動を呼び起こす様は、心にズシンと重く響いた。

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| 古本読書日記 | 06:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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