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内田樹    「下流志向」(講談社文庫)

 2022年から。高校の国語の科目が変わる。現在は現代文A,B古典文ABなのだが、22年からは、論理国語、文学国語、国語表現、古典探求となり、この中から各高校で選択科目として選ぶ。

 論理国語、契約書を読んだり、作ったり、論理を組み立てる力、グラフや統計を読み取り表現する力を中心に学ぶ。つまり、社会にでて即有用な人材を創るための教科ということになる。社会で役立たないと思われる文学は、選択しない高校もでて、ますます文学は軽視されるのではないかと危惧されている。

 最近は、それをして何の役に立つのかという視点から、学ぶ中身を考える発言が多くみられる。流石に幼児期に、子供はそんなことは言わず、親の言葉を全面的に受け入れるが、小学校にあがると、それを習って何の役たつの?と聞く生徒がでるという。その生徒は納得ゆく答えが先生よりなされないと、全く授業に関心が無くなり、ゲームをこっそり授業中にしたり、隣の子と話しをずっとしたり、教室を徘徊したりするらしい。

 学ぶための不快に交換できる価値が無いと学びを拒絶するのである。

 最近引きこもりが大きな問題になっている。もちろん、突然のショックが引き起こしたり、メンタルの問題で引きこもりになっている人も多くいるとは思うが、自分の価値尺度で、不快だと決めて、それを拒否する生活をすることに価値があると考え、引きこもりになっている人も多いのではと思う。

 多少の修正はいるとは思うが、少なくても、大学までは、教育は有用という尺度で判断するのではなく、幅広く深く学ぶべきものだと判断すべきである。

 それは、無用という判断の尺度が30CMのものさしだけでなされるのではなく、長尺の複数の物差し、三角定規、分度器といったいろんな尺度を身に着けて判断せねばならないからである。

 この作品では、学ぶということは、幅広い見方、考え方を身につけるということであると一貫して主張されている。

20代前半で社会にでるとき、エクセルやパワポができる学生より、多くの教養をみにつけそれを背骨にしている学生のほうが社会にとって有用な人になると私は確信している。

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| 古本読書日記 | 06:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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