FC2ブログ

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

遠藤周作   「人生の踏絵」(新潮文庫)

 遠藤周作が、何故小説を書くのか、人生の機微、奥深さを縦横無尽に語った、講演録。
遠藤の作品はマイナーなものからメジャーな作品まで、殆どすべてを読んだ。また、彼が尊敬したり、影響を受けた海外の作家の作品も読んだ。

 遠藤は肺結核をはじめ多くの大病をしていて入院生活を長い期間した。遠藤は子どもの頃キリスト教の洗礼をうけキリスト教信者として生涯を貫いた。

 しかし、遠藤が入院しているとき、多くの患者が亡くなっていった。中には5歳くらいの幼児までいた。神は人々を救ってくれるはずなのに、いくら祈っても何でこの子の命を救ってくれないのだと大いに怒り、苦しむ。

 私も同じように思い、こんな理解できない宗教なのに、遠藤は何故キリスト教信者をやめないのか不思議に思っていた。

 遠藤作品の大ベストセラー「沈黙」を読んだとき、その疑問が解けた。

 何といっても、この作品のハイライトは宣教師であった主人公ロドリコがキリストの踏絵を踏むかどうかの場面。当時、踏絵を踏むくらいなら、死ぬほうがましという純粋な信者が多かった。そのまま首をはねても、あっけないし、信者のいさぎよさばかりが強調されるとまずいということで、穴ずりという拷問にかけるところから踏絵は始まる。糞尿の上に逆さ吊りをして、踏むと宣言しないと、顔を糞尿の中に入れたり、上げたりを繰り返す。

 踏絵を踏めば、転ぶということになり、キリスト教を裏切ることになる。しかし、拷問には耐えられない。弱り切っているロドリゴにキリストがささやく。ロドリゴ初めてキリストの声。「踏絵を踏みなさい」とキリストは言う。

 遠藤は言う。聖書には、イエスが魅力あるもの美しいものを追いかけているところが一ページもない。イエスは汚いもの、色あせたものにしか足をむけなかった。社会の底辺にいる娼婦や病気に苦しんでいる人たちの傍にいて励まし、慰めた。みんなの日常の苦しさや悲しさ煩わしさを背負い、自分が十字架につりさげられても、それらを最後まで捨てなかったことに感動すると。

 神は実像は見えない。しかし清廉潔白で清く正しい人には神は現れない。神はむしろ罪人の中に入り込む。嫉妬、怒り、絶望に陥った人間にこそ神は立ち現われ人々に寄り添いささやきかける。

 この思いを基底にして、遠藤は神と人間とのかかわりを小説に描いてきた。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 06:18 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT














PREV | PAGE-SELECT | NEXT