fc2ブログ

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

中村紘子   「ピアニストだって冒険する」(新潮文庫)

 ピアノ ソリストとして世界で活躍した中村紘子の死の一か月前まで書き継がれたエッセイ集。

 今は、どの県に行っても、りっぱなコンサート会場があるが、中村が演奏家として全国をまわりだした50年前には、地方には殆どまともなコンサート会場は無かった。

 会場は体育館や講堂ばかり。畳が敷かれた宴会場も多かった。百畳敷きの大宴会場の奥の舞台に、足とペダルの取り去ったピアノがお琴のように置かれている。

 茫然とする中村さんに声がかかる。
「やっぱし、足は取り付けるんですか?」と。
大変な時代だった。

 世界の2大ピアノコンクールと言えば、モスクワのチャイコフスキー・コンクールとポーランドのショパン・コンクールである。

 チャイコフスキー・コンクールは、1958年、フルシチョフが「ソ連は科学のみならず、芸術分野でも資本主義より優れている」ことを誇示するために始まったコンクールである。

 しかし、ソ連は崩壊。全くお金が無くなったため、中国や日本からのお金を手に入れ、コンクールを存続。今やお金まみれのコンクールになっている。

 そして、ロシアはプーチンの独裁政権。プーチンの腹心であるマエストロ・ゲルギエフがピアノ、バイオリン、チェロ、声楽などの統括審査委員長。1998年のピアノ部門第一位のデニス・マツーエフは、プーチンの携帯電話番号を持っている、プーチンとの関係は強い。

 プーチンが公式外国訪問をするときは必ず同行して演奏をする。

 コンクールでのメダル獲得者選出にはロシア政府の意向が反映。利権の絡む、あまりきれいじゃないコンクールとなっている。

 一方のショパンコンクール。ポーランドは1000年にわたり、他国に占領され苦しい暗黒の時代をすごしてきた。1918年念願の独立を果たし、初代大統領には、当時アメリカでピアニストとしてスーパースターだったパデレフスキがなった。

 そして偉大な国の象徴としてショパンをかかげ、誇りと希望を取り戻そうとした。そんななか1928年に初めてショパンコンクールが開催された。

 情熱と希望を集めて始まったショパンコンクール。しかしソ連崩壊後、雰囲気が大きく変わる。
 国のインフラは整備され、所得もあがり、暮らし向きが改善された。それに伴い、希望の象徴だったショパン信仰も薄れ、殆どの国民がコンクールに関心をよせなくなった。

 それに連れ、コンクールの入賞者の多くが、中国、韓国をはじめアジア系の演奏家によって占められるようになった。
 このことも、関心が薄くなってきた原因である。

チャイコフスキー・コンクールもショパン・コンクールも日本にいて憧れるほど、現地では関心が高いコンクールでは無いようだ。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ




| 古本読書日記 | 06:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT














PREV | PAGE-SELECT | NEXT