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司馬遼太郎   「空海の風景」(上)(中公文庫)

 土俗的、呪術的であり、雑多な内容が混在している密教を、誕生したインドでも、移入された中国でも成しえなかった密教を、一つの思想体系にまとめあげた天才であり歴史上最初の日本人思想家である空海の生涯を描いた作品。

 司馬には多くのベストセラー著作があるが、司馬はこの作品が最も気に入っていると言っている。

 空海は現在の讃岐多度郡に讃岐佐伯の一族として生まれている。幼少のころから天才として誉が高かく、一族の星として、当時の官僚への登竜門となっていた大学に入学する。

 当時の日本は、中国で生まれ朝鮮を経由して入ってきた儒学が全盛の時代。儒学は官僚としての在り方や、世俗的な生き方対処方法を習得、処世の工夫だけを学ぶ学問。宇宙と生命の真実を追求したいという空海には無用なものと思い、大学をやめ、僧になることを決意する。

 私度僧となった空海は、多くの寺を回り、そこにある教典を読み、虚空蔵菩薩の秘術を基盤に生まれ、インドで仏教とは異なって発達してきた密教にであう。

 そして、この秘術習得にふさわしい場所を求めて、四国を巡り歩く。現在の四国八十八か所のお遍路がまわる寺は、この時の空海が修行で訪れた寺のことを指す。

 空海遊行の修行の場所として、現存するのが室戸岬の洞穴がある。この洞穴に石がはまっていない窓がある。そこから見えるのは、大きくうねる海と、果てしなく広がる空ばかり。この風景から「空海」という名が生まれる。

 ここで奇蹟を空海は体験する。天にあった明星が次々洞窟の中に飛んできて空海の口の中にはいる。この奇蹟により、空海は体は地上に残したまま、その精神は抽象世界に棲むようになる。

 ここに空海は「密教こそが仏教の完成した形」と確信。その密教を思想的に体系化するために、遣唐使船にのり中国唐に行くことを決意する。

 上巻は、遣唐使船で中国にわたり、首都長安に行き、そこで金剛頂系と大日経系の2つの主要密教体系を引き継いでいる唐で唯一の僧、青竜寺の恵果和尚に出会うところまでが描かれる。

 作者司馬は、この作品は完全に小説とことわっているが、体裁はノンフィクションになっている。
 当然、空海に関する古典はそんなに残っておらず、多くは司馬の想像でできあがる。そのため「~だろう」「~と思える」「~と考えて間違いはないだろう」という文章ばかりで、かなり読みづらいしまどろっこしい。小説なのだから、空海一人称で断定的に描けばもっとコンパクトでわかりやすい作品になったように思う。

 長安に入り、青竜寺の恵果和尚に会うまで数か月空白がある。この間については、街を見学したということしか古典には書かれていない。

 しかし、司馬は、そのころの長安を想像して、空海にあちこちを見て回らせ、それにより空海の受けた感動、強い印象を多くのページを割いて描写する。

 しかし、それが、その後の空海の人生に何が具体的に影響したのかは全く語られない。

この作品では、そんな無意味な箇所がいくつかあり、それが読者を混乱させる。

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