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石井好子    「人生はこよなく美しく」(河出文庫)

 料理、おしゃれをテーマにした対談、そしてやっぱりシャンソン、パリ時代でのシャンソン歌手との交流、生きることの喜び、悲しみを磨き上げた文章で描いたエッセイ集。

 石井さんが戦後パリのモンマルトルで歌っていたころ、日本人の女性が「アナタ ニホンジン?」と声をかけてきた。

 彼女は、パリ万博当時の明治31年、一世を風靡した旅の一座、川上音二郎、貞奴がシャンゼリゼ劇場にでていたころ、日本人女性はモンマルトルにあったポピノ座にでていたと言う。ポピノ座は明治のころは、パリ一番のミュージックホール。そんなすごいホールに日本人が出演していたとは聞いていたことが無かった。誘われるまま、彼女のアパートに行く。壁に彼女が出演した一座のポスターが貼ってあった。

 サーカス団だった。

私の小さいころ、お祖母さんが言っていた。お祖母さんが少女のころ、親の言うことをきかないと「サーカスに売りますよ。」と脅されたと。

 彼女は、幼い時まさにサーカス団に売られた女性だった。
サーカスに入ると毎日鞭打たれながら芸をしこまれ、体を柔らかくするため無理やり酢を飲まされた。

 明治や大正のころ世界では、日本のサーカスがもてはやされ、多くのサーカス団が欧米に興行にゆき拍手喝采を浴びていた。

 彼女の一座は公演がアメリカで終わると、みんなは日本に帰国したが、彼女と親方は帰らず、そのまま南米に行き、2人サーカスを演じて、その後ロンドンに渡る。ロンドンでは女王さまの御前に招待もされたそうだ。そのお蔭で年金がおり、ヨーロッパで生活ができていると言う。

 40歳のときリュウマチになり、そこでサーカスは引退している。

アメリカには、戦時中苦難を味わった移民日本人がいたが、明治に日本を離れ、そのまま日本に帰らずヨーロッパで戦争中も暮らした日本人というのは殆ど聞いたことが無い。

 フランスに帰化した画家の藤田嗣治でさえ、戦争中は日本に帰国している。

 彼女は言わないが、親方とは互いに大切な人同士だったのだろう。日本人や仲間が誰もいない敵国で生き抜く。2人の愛の絆の強さを感じる。

 彼女の名前「山本こよし」と言う。

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