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石原慎太郎   「新・堕落論」(新潮新書)

 精神科医斎藤環によると、以前に比べ精神科医にかかる患者数が増大したそうだ。それだけ、心の病で受診する壁が低くなったのだろう。ある総合病院が需要に応えようと精神科の入院病棟を大幅に増設したところ、その情報を聞きつけ、とんでもない数の患者が殺到したそうだ。心の重圧について周りに相談者がいないので、誰かに面と向かって相談したいという人たちが病院を訪れる。

 以前、秋葉原で17人を無差別に殺した加藤という殺人者がいた。

彼は失職しそうな不安と職場での孤立に耐え兼ね、盛り場での殺人を思いつき静岡から車で上京する。

 車を運転中、彼は無差別に携帯電話で、これからやろうとしている殺人を伝え続けた。しかし「それはすごいことやるな」などのおちゃらけの反応しか返ってこず、そのまま秋葉原で大量殺人を実行した。

 もちろん誰かが「それはやめろ」と返信しても、殺人は止められなかったろう。彼の意識下では、他人との繋がりは、殺人をすることでしか見つけられなかった。

 私の青春時代は、電話はあったが、共同利用。だから、もっぱら恋は手紙の交換でなされた。手紙は時間をかけ、どれだけ相手が好きなのかを表現し、目をつむってポストに投函した。そして返事が来る間、相手の気持ちを想像して、悶々と暮らす。

 真剣に恋をする現実。相手がどう思っているかを想像することはバーチャル。現実もバーチャルも真剣だった。
 そして、その真剣を仲間と互いに夜を徹して相談、会話をした。

 また、小説もその時代を反映して、真剣につきつめる小説が多かった。石原慎太郎がこの作品で紹介している福永武彦の「草の花」はその典型だった。

 今は、死ぬほどの真剣さは無くなった。そんなことを思い詰めたり、語り合う時間があるのなら、携帯をいじり見知らぬ他人と繋がっていようとする。

 そして、誰もが無個性になり、生きる意味を失い、ひたすら孤独にむかって走る。
しかし、今更携帯の無い時代へもどすことはできない。

携帯、無個性、孤独を前提にして、人間同士の関わりをどうするかを創り上げねばならないが、それは本当に難しい。
石原はこの作品で、それは国を想い、愛国を育てることだと結論つけるが、突飛すぎて納得はなかなかできない。

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