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井上章一     「美人論」(朝日文庫)

 江戸時代までは、下層の人々はともかく、結婚は、家長が決定して、それに従うのが絶対だった。恋愛など殆ど入り込む余地は無かった。

 明治になり、政治家や経済人が洋行するようになる。日本では夫人のことは「奥様」と呼び、家の奥の部屋に閉じ込めておいて、外へ出るなどとんでもないというのが明治の上流階級の一般的考え。

 ところが、西洋にわたると、多くのパーティーが開かれ、その際外国人は夫婦で出席するのが当たり前。そして、夫は誰でも見目麗しい美人を連れていて、夫人が美しいことに夫が誇っている。

 これを見て、政治家や経済人は、結婚相手は家柄でなく、美人を求めるようになる。そういう美人は芸者に多い。だから、上流階級の夫人は芸者上がりの女性が多くなる。

 明治の女学校に授業参観日がある。しかしこの授業参観の目的は授業を見学するためにに行くことではない。上流階級の人が、嫁探しに行くことである。ここで、美人を見つけ、あの娘を嫁さんにすると決める日である。先生も心得ていて、その日になると、自分のクラスで推薦する美人を決めていて、彼女を集中して指したり、目立つようにする。

 そして授業が終わると、校長室にその生徒が呼ばれ、上流階級の人と面談が行われ、結婚が決まる。だから、女生徒の中途退学が頻繁に起こった。
 ということは、逆から見れば、女学校は不美人ばかりが最後まで勉強をする。この時代不美人に生まれると、家では、この娘は容姿では生きていけないので、教育をきちんと受けさせようということになる。だから、当時の大卒の女性は不美人ばかりとなる。
 江戸から明治に変わり、この変化に社会は怒る。女性が特権階級の強みが通用しないから。

それで、明治時代は、美人は教養もなく、性格も悪く、ひどい女性として徹底して非難し、不美人は教養も高く、性格も穏やかで、優しい女性ばかりと不美人礼賛論が社会を覆う。

 これが戦後になると、どんな女性にも美しいところがある。すべての女性が美人であるし、美人になる要素を持っていると女性全員美人論が多く語られるようになる。美人も不美人も確実に存在するにも拘わらず。この全員美人論は、化粧品、美容機器を販売する会社がマーケットを拡大するために意識的に採用した戦略なのだそうだ。

 いずれにしても、ある時代までは、男性が女性を選択する、その流れのなかで、美人、不美人が語られてきた。

 しかし、今や、女性が社会進出し自活もできる世の中になった。そうなると、女性が男性を評価、選択する時代になった。世の中にはその選択からころげおち、結婚も恋愛もできない男たちがあふれている。もう女性の美人、不美人など語っている時代では無くなった。

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| 古本読書日記 | 05:51 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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