FC2ブログ

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

大庭みな子    「津田梅子」(朝日文庫)

 この次に発行される5千円札に登場する津田梅子の生涯を描く。大庭みな子が津田塾女子大のキャンパスに眠っていた、梅子とアメリカでの寄宿先ランマン家の夫人デブリン アンマンとの生涯を通じてやりとりした膨大な手紙を発見。それを丹念に大庭が読みこなし、この作品はできあがった。

 津田梅子は明治4年、北海道開拓使次官であった黒田清隆の発案による、女性をアメリカに留学させるとの募集に、清隆が梅子の父仙と関係があり、仙が応募。5名の留学生の中に梅子は選ばれる。何とこのとき梅子の年齢は6歳。もちろん最年少の留学生である。

 それから11年間、幼少から思春期をアメリカで育てられる。それで、梅子は死ぬまで日本語が少し不自由だった。

 留学した5名の女性のうち2名は、政府の帰国命令で帰国したが、梅子、捨松。繁子の3名は学校の卒業ができるまでと延期を申請、それが認められ遅れての帰国となる。この3人の友情は固く、後に梅子が女性のための英語塾を開くのに、他の2人は熱く支援してくれている。

 明治時代は、女性が就職して食べていける道は全く無い。また、そのころの結婚は、相手は親が決め、女性はそれに従うしかなかった。梅子は、この慣習に反発。女性でもちゃんと教育を受け自立できる社会を作らねばならないと考える。

 井上薫の夜会で、伊藤博文に再会し、その後、家をでて伊藤の家に寄宿。その間、家庭教師やアルバイトで学校の講師をしていたが、決意して再度アメリカへ留学。

 帰国して、女性のための私塾開設の運動を起こす。そして幾多の苦難をのりこえ、明治33年7月に「女子英学塾」を開設にこぎつける。

 この作品で感動したところは、100歳で生きておられた、第5回生で梅子の指導を受けた岡村品子さんに大庭がインタビューしたところ。

 梅子が素晴らしいと思うのは、この品子さんが小学校卒だけでありながら、自宅に寄宿させ、個別に教育をしたところ。意欲ある女性に対しては門戸を開いていた。

 品子さんの学んだ塾は、一般の家で寺子屋の雰囲気。2階だての家屋で、品子さんは2階の一部屋が与えられ、隣の部屋が梅子の部屋。

 一階は8畳と6畳の2間。ここが教室。一人、一人に情熱をこめて教えていた梅子の頑張りを彷彿とさせる。

 女性の社会進出にはよく平塚雷鳥や市川房江の活動によってなされたと言われるが、本当の実現者は、彼女たちのような市民活動家でなくて津田梅子のような女性だったとこの本を読んで思った。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ




| 古本読書日記 | 05:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT














PREV | PAGE-SELECT | NEXT