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嬉野雅道    「ひらあやまり」(角川文庫)

 これは、なかなかストンと心に落ちてこない作品だ。
筆者は、北海道テレビの多分人気番組だろうと思うが「水曜どうでしょう」という番組の担当ディレクター。もう50代半ばであるが会社の地位は平社員。

 仕事中は、自分の席には殆どいないで、会議室の一角にカフェを開いて、接客をしている。多分名物社員なのだろう。自由奔放なことを、周囲がどうみているかよくわからないが、諦めているのだろう。しかし当人は意気軒昂である。それにしても、北海道テレビがよく許しているものだ。

 嬉野からみれば、全員が殆ど年下なのに、地位は同等かそれ以上の人しかいない。
彼は作品で、声がかかればすぐに参集して、素晴らしいドラマ、番組を作る仲間が数人いて、その過去の成果と彼らとの熱い絆を作品で誇るように語る。

 福屋渉という部長が嬉野に語る。

福屋は酪農家の長男で、実家には100頭もの牛を飼っている。実家は弟が継いでいる。
例えば、エサやりが大変。牛も人間と同じでみんなそれぞれに個性が違う。図体がでかくて気性のあらいやつとか、おとなしいやつとか、とにかくずるいやつとか、要領の悪いやつとか、性質が一頭一頭違ってくる。

 もうえさを食べたのに、食べてないふりをして、もう一度ねだってくる奴。別の牛のえさを横取りする奴。
 目配りを十分して対応しないと、でてくる牛乳の品質にバラつきがでる。

福屋はどんな牛の性格も否定しない。好きだ、嫌いだ、馬があわないという相性は問題にせず、困ったやつもいるけど、それが当たり前のこと、これを大前提に会社でもみんな受け入れてやる。

 これを聞いた嬉野。人間もこのように管理されねばならないと書く。

 部長はどうして普段仕事をしないで会社でカフェを勝手に開いている嬉野にこんな話をしたのだろう。部長は嬉野は異常に変わっている牛なのだが、受け入れてやるよと言っているのだろうか。諦めの境地で言っているのを。嬉野は自分の都合のいいように受け取っているのではないか。

作品は嬉野自身の自己評価、視点からのみで、嬉野自身を語っているが、周囲も本当に嬉野を受け入れているのだろうかとやはり思ってしまう。

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| 古本読書日記 | 06:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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