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鎌田慧   「死刑台からの生還」(岩波現代文庫)

 1950年2月28日未明、香川県財田村で一人暮らしの香川重雄が惨殺された。

事件捜査は難航したが、事件後3か月余をたったころ、当時、財田村で不良で手がつけられない19歳の少年谷口繁義が犯人として逮捕される。この犯人逮捕、犯人であることを認めなかった谷口を、取り調べ担当を宮脇主任に変わり、彼の追求により自白させた。これにより、宮脇は県警本部から表彰されている。

 宮脇は、谷口が犯人であるというカンと信念が通じたと語っている。え?カンと信念で犯人を決め付けるのかと驚く。

 裁判は最高裁までゆき、一貫して谷口は犯行を否認するのだが、認められず、地裁判決通り死刑が確定する。

 この時、高松地裁丸亀支部裁判長矢野に対し、自分は無実であるとの手紙が届き、矢野は調書を読み込み、谷口が無罪であることを確信する。そして、彼は裁判長をやめ、弁護士に転じ、事件の再審のために尽力し、再審を勝ち取る。

 この事件、谷口が犯人と決めつけそれを裏付ける証拠を警察は集めようとする。
まず、香川を殺害したとき、おびただしい血が飛散している。そこで、谷口が犯罪当時身に着けていた衣服や、所持品を証拠品として持ち帰る。しかし、どれからも、血痕が発見されない。

 それで警察はまた谷口の家にやってきて、弟たけしのはいていたズボンを脱がせ持ち帰る。これにわずかな血痕が発見される。岡山大教授の鑑定では微量すぎて、判定不能としたが、東大古畑教授の判定で、明白ではないがO型の血痕と判断もできる鑑定を取得。被害者香川の血液型がO型だったので、弟のズボンを穿いて谷口は犯行に及んだと結論つける。

 不思議なことに、警察は谷口が履いていた靴を証拠品として押収、足跡はいくらでも残されていたので、その跡が一致するという証拠をだせば、谷口が犯人であることの証明になるのだが、証拠品として法廷に提出しない。再審のとき、弁護側から靴を提示するよう求めたのだが、紛失したと提示を拒否している。

 実は、谷口は事件が起きた数日前に安井という不良仲間と香川さん宅に忍び込み1万円を強奪している。この一万円を5千円ずつ、安井とわけ、事件当時5千円を所持していた。

 事件後、家宅捜索で1万3千円が無くなっていることがわかる。そこで、残り8千円はどうしたかが、問題となる。谷口は警察に護送されている途中で、ポケットに詰め込んでいた100円札80枚を、車の幌の隙間から捨てたという。

 80枚ものお札はポケットには入らない。しかも警官に手錠をはめられ、監視もされているなかで、そんなことができるとは思われない。しかも投げ捨てたとされる札は拾った人も発見されないし、見たという人も発見されなかった。

 こんな状態で、何で事情聴取で嘘の自白をしてしまうのだろう。
実は、谷口は聴取時、ひざ下を縄でぐるぐる巻きにされ正座させられていた。しかも手錠も2つはめられ身動きできない。縄がひざ下に食い込み耐えられない。これを毎日12時間やらされる。限界がやってきて苦痛から逃れるため嘘の自白をしたのである。

 今はこんなことはないだろうが、先日も看護師の冤罪事件があり、再審がなされるとのニュースが流れた。裁判の判決が完璧ではないことを思い知らされた。

 それにしても再審の道は険しい。昔弘前大学教授夫人殺害事件というのがあった。犯人は捕えられたが、判決確定後に真犯人が自首してきた。それで、弁護団が仙台高裁に再審請求をしたのだが棄却された。
 恐ろしいことだ。

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| 古本読書日記 | 06:05 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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