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鎌田慧   「ルポルタージュ・新日鉄 死に絶えた風景」(現代教養文庫)

 労働下宿と言われた、悲惨なタコ部屋に入り、新日鉄の孫請け労働者として現場に入った著者鎌田自身の経験を通して、新日鉄、鉄鋼産業をルポルタージュした作品。

 日本の鉄鋼造りは、日本刀を造る、たたら製法が島根県の奥出雲で開発され、たたら製法により行われてきた。しかし、この製法では、富国強兵の名のもとでの、軍事物資を大量に製造はできない。

 そこで明治政府は、軍需物資供給でのしあがった田中長兵衛に依頼して、本格的な高炉を建設して、大量の鉄鋼を生産することにした。

 場所は、鉱山が散らばっていて、コークス用の燃焼材料の木材が大量にあり、船輸送にも適している釜石が政府によって選ばれ、国有地を田中に払い下げた。

 田中は多くの失敗を繰り返したが、明治18年に出鉄に成功。その後日清戦争や日露戦争があり、鉄鋼生産は飛躍的に増えた。
 田中は大儲けをして、東京に宮殿のような豪華な自宅を作ったが、釜石の製鉄現場は悲惨だった。

 就業時間は朝6時から夕方6時まで。休日は正月一日と、お盆の中日の2日だけ。
年末手当は、製鉄所所長から一人一人労働者に支給される。そのとき、君は働きが悪かったからと何枚か紙幣をとりだし、これは働きのよかったA君にあげるといって別の袋にいれる。

 現場労働者の住まいはボロボロの長屋。土間しかない。雨漏りはする。
秩父宮殿下が視察したとき、長屋を発見してあれは何かと質問する。
案内人が答える。「あれは鳥小屋です。」と。
 とんでもない時代だったが、その状態が四半世紀前まで続いていた。

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