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江國香織   「ヤモリ、カエル、シジミチョウ」(朝日文庫)

 私たちは3歳ころまでの記憶が殆ど無いのはどうしてだろうか。それは多分言葉を持っていなかったからじゃないか。出来事が言葉によって表現されるから記憶として残るのだ。

 では言葉が持ちえないとき、私たちは世界や周囲をどのようにして把握していたのだろうか。耳に聞こえる音、目に見える情景をそのまま五感で、体でとらえている。

 この物語の主人公拓人は5歳になるが、言葉の能力が欠けている。

 しかし、ヤモリやカエルや周囲の生き物たちと会話ができる。植物だって、何を言っているかわからないが、一生懸命植物がしゃべっていることは知っている。

 言葉はできないが、代わりに世界は広いし、毎日が楽しい。そんな拓人を一生懸命理解しようとしているのが姉の育実。カエルに葉っぱと名付けて壜にいれて肌身離さず持ち歩く。それは拓人が葉っぱが育実と一緒にいたいと言っていることを信じているから。

 では、言葉を持って生活している大人の世界はどうなのだろうか。
拓人の両親。母親の奈緒は、夫耕作の浮気に苦しんでいる。一旦外へでると、何日も帰って来ない。そのことについて耕作をといつめたい。その言葉はいっぱい浮かんでくるが、どうしてもそれが言えない。

 拓人と育実のピアノの先生千波は加藤さんと結婚の約束する。しかし、両親特に父親は反対している。結婚準備をしている途中で加藤さんが、突然結婚を延期したいと言い出す。ひどい男だと、両親は加藤さんを非難する。しかし、千波の母の志乃は、夫に内緒で浮気をしている。

 言葉を自由に操れる人の方が窮屈で小さな世界で不安と摩擦を抱えて生きている。

この物語は拓人の一人称で描かれている部分は全部ひらがなで書かれていて、そのほかは通常の表現体で描かれる。

 生き物しか友達がいなかった拓人に、幼稚園で拓人に興味をもって近付いてきたシンイチ君と友達になる。そこから、突然ひらがなから普通の表現体に変わる。
 そして、拓人の世界が狭まり、言葉を持った世界に入ってゆく。

 残念という思いに切なさが重なる。

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| 古本読書日記 | 06:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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