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角田光代   「坂の途中の家」(朝日文庫)

 主人公の里沙子は専業主婦、3歳になる子と夫との3人暮らし。そんな里沙子が世間を騒がせた幼児虐待殺人事件の裁判員裁判の裁判員補欠員に選ばれる。

 殺害者の水穂は、自分の娘を風呂の中に落とし殺害。当初は水穂を愚かな女性として軽蔑していたのだが、公判が進むにつれて、自分の子供の育児と重ねあわせ、その境界がなくなっていくような感覚にとらわれるようになる。自らの育児経験が思い出され、だんだん自分が裁判にかけられているような思いがしてくる。

 10日間、8回の公判の内容が里沙子の視点から詳細に描かれる。それにしても、長い、500ページにも達しようという作品。本当に読んでいて眠くなった。

 角田さんは、物語で何を言いたかったのだろうか。
里沙子の夫は、家具や内装の設計事務所に勤めていて、里沙子29歳のときに結婚、すぐ娘が生まれる。

 一方、殺害者の水穂。夫はスポーツ用品店の販売員。水穂は企業の海外部門に勤務。子供の誕生を期に、悩んだが退職して、専業主婦となる。子供の誕生した時に、戸建て住宅を購入している。

 確かに子供を作って、自分は育てられるだろうかという思いが募りマタニティーブルーに陥ったり、出産から母乳でうまく育てられなかったり、子供の第一次反抗期で、泣き止まない子供にうんざりし、夫も思うように支えてくれなかったりで、水穂は完全に育児ノイローゼ状態になる。

 里沙子が述懐する。
順風満帆とは、何もかもが思い通りになることを言うのではない。大きな挫折もなく、重大な決意もなく、何となく日を送っているだけの楽しい日々をすごしてきたのではないか。こういう生き方が順風満帆ということではないか。

 運動も勉強もそれなりにこなして、第一志望というわけにはいかなかったが大学にもはいり、思い通りの会社では無かったが就職もでき、逃げ出したくなるようなことも無かった。多くの人のように。

 その点では里沙子も水穂も順風満帆な人生を送ってきている。子供を産み育てるには、多くの人たちが同じような道のりを経てきている。たまたま水穂は子供を殺害してしまったのだが、それをとりだして、里沙子に共鳴させ、育児の大変さ、辛さを異常出来事のように、描写してみても、それでどうしてと、誰もが通る道じゃないかと、物語に溶け込むことができない。

 裁判員や、たくさんの事件にたいする証言者が、人により出来事に対する見方、とらえ方が違うものだということを表現したかったのだということなら、多少この小説の意味がでてくる。

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| 古本読書日記 | 06:05 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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