fc2ブログ

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

井上荒野    「ママがやった」(文春文庫)

 日本のジェームス・ディーンと呼ばれていた赤木圭一郎が、ゴーカートの運転を誤って壁に激突し亡くなった。昭和36年圭一郎はまだ21歳だった。

 当時、ある民家の屋根裏部屋にいつも20人ほどの若者がたむろする部屋があった。そこに百々花は恋人拓人に連れられて行き、それからその部屋に出入りするようになる。酒瓶が転がり、映画のポスターが壁いっぱいに貼られていた。

 百々花は、中学校の国語の教師をしていた。ある日、一人の女生徒澄江が男の子たちに囲まれ襲われそうになっているところに遭遇。「何をしてるんですか。」と大声で叫ぶと、澄江を含め全員が散った。

 次の日職員会議で澄江の停学処分が決まる。不純異性交遊というのが理由だった。
澄江は妊娠していた。

 そのことを百々子は拓人に話した。
「まだ、15歳。恋なんか知らない。性におぼれているだけだわ。」
「お前も溺れてるのか」と拓人が聞いた。

 澄江が睡眠薬を大量に飲み自殺未遂を起こす。病院の早期の処置で大事に至らず、家に帰る。百々子の家、拓人の家、澄江の家は三角形に位置していた。

 百々子が澄江の家を訪ねる。部屋からでてきたのは、澄江でなく拓人だった。
百々子にはその時、すでに拓人の子を身ごもっていた。

 最低の男だったのだが、百々子は拓人と結婚する。
拓人は、常に女の出入りがあり、定職ももたず、自称イラストレーターだったり写真家だったり旅行記者だったりして、今は小説家だった。

 79歳になった百々子は、72歳の拓人が寝ているところを顔に布を覆って押さえつけ殺す。

百々子の家に子供たちも集まり、どうするか話合う。しかし、百々子をはじめ、とんでもないことになったという意識が無い。だから、百々子の作った筍ごはんを食べながらの相談だった。

 物語はその相談の場面から始まり、どうしてこんなことになったのか、それぞれの家族の経てきた道を、哀しい調子ではなく、コメディタッチで描き、最後拓人の死体を捨てに行くところで終了する。

 一般からみてダメな人たちばかりなのだが、当人たちは全くそんな気持ちはない。ダメな人生を歩むと、人を殺しても、それは当たり前の出来事になってしまう。少しぞっとした。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ




| 古本読書日記 | 05:55 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT














PREV | PAGE-SELECT | NEXT