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竹村公太郎   「日本史の謎は『地形』で解ける」(PHP文庫)

 歴史的出来事、歴史家や研究者がそのことが起きた要因を分析すると、いくつもの見方、考え方が提示され、論争がいつまでも続き、結果がでない。

 その、要因が地形にあれば、地形はいくつもあるわけではないので、要因は明白となる。
この本は、日本の歴史上での出来事を地形により起こった要因を提示している。

 忠臣蔵は徳川幕府が吉良家を嫌悪していて、高家である吉良邸を江戸城域内から、排除させたいために裏で糸を引いて起こした事件だというのは面白かった。

 吉良家は三河の矢作川の河口にある吉良町を当時治めていた。その吉良町の北側を治めていたのが徳川家。吉良家は矢作川の水利権を占有し、塩田も開発、裕福で繁栄していた。徳川がどんなにお願いしても水利権を割譲してくれなかった。その怨念が忠臣蔵に引き継がれた。何しろ、松の廊下での刀傷劇、諸説はあるが、なぜ引き起こされたのかいまだにわかっていないのだから。

 この本で一番驚いたのは、ホテル、旅館の客室数が最も少ない県が奈良県であること。法隆寺や東大寺があり古都で名所旧跡も多く、修学旅行生もたくさん訪ねるのに。

 欧州からシルクロードを経由し、文化や人々、多くの物資が動いた。中国や朝鮮を経由し、それが船によって、瀬戸内海を通り、日本にも届く。当初は湿地帯だった大阪ではなく、柏原に到着。そこで小さな船に乗せ換え、大和川をさかのぼり、奈良に運ばれた。だから、奈良は昔はシルクロードの東の終点だった。

 だから、日本の最初の都は奈良、平城京だった。

しかし、大阪の湿地が整備される。すると、人や物資は淀川を使いさかのぼるようになり、京都へ行きつく。

 奈良は、奈良からの先が山に阻まれそこから先に行けない。しかし、京都の先には琵琶湖がある、更に水路で東や北に行き、そこから、三河、美濃、北陸更には江戸につながる。

 だから、都は奈良から京都に移されたのである。

奈良は今は近鉄やJR、国道も整備され、取り残された町から脱却はできたが、それでも他県から比べると立ち遅れた位置にある。

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| 古本読書日記 | 06:16 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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