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坂崎乙郎    「絵とは何か」(河出文庫)

1976年出版作品。このころの本の特徴。言葉は平易だが、かなり独りよがりで、自らに酔うところが多く、何を言いたいのかよくわからず、読むのに苦労した。

 絵とは想像力であり、個性であり、最終的には感覚であると坂崎は言う。

ゴッホの父親は聖職者だった。ゴッホは当初、画商であるグービル商会に勤め、ハーグやロンドンと渡り、パリ本店勤めとなるが、商会ではうまくゆかず解雇される。

 そのあと、父の志をついで聖職者の道を目指す。ここで、貧民窟の人々と知り合い、伝道師となり、彼らとともに暮らし、導きをしたいと考えるようになった。

 ゴッホの絵の基軸は、この伝道師を目指した時代に創られた。

 ゴッホはレンブラント、ドラクロア、モンティセリ、フェルメールの中で、ミレーを直接の師として仰いだ。

 しかし、ゴッホはミレーには欠けているものがあると考えた。ミレーは農民を描く。農民たちは確かに働いているように見える。労働の尊さを歌っているような節回しが絵画から聞こえてくる。しかし『落穂ひろい』の農民たちは優雅だ。

 現実の農民たちは、乏しい食事で烈しい労働を強いられている。その人体は、重荷を負えばゆがみきしみ、硬直したフォルムをつくりだす。

 ゴッホは真実のみが美しいとするリアリティのまなざしを持ち、苦しい農民や貧民と同じ眼差しで絵画を描く。ここがミレーと圧倒的な違いとなる。

 ゴッホは言う。
 「もし畑で働いている人を写真に撮れば、かならずその人は畑で働いていないだろう。」と。

 このところが、著者坂崎の絵は感覚であるという部分だ。
絵は、畑で働くひとの、辛さや切なさを描き込み表現するものでなければならない。それは写真ではできない。

 だから、美術館に行って、数分で絵は鑑賞できるものではない。じっくり椅子に腰かけこの絵で作者は何を語ろうとしているか感じとらねばならない。

 最も近年は、絵と対面して、感じ取らねばならないようなリアリティを持つ絵は殆ど無くなってきたと坂崎は嘆く。

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| 古本読書日記 | 05:50 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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