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藤本義一    「鬼の詩/生きいそぎの記」(河出文庫)

 藤本義一は大学生の時、あちこちの脚本の懸賞募集に応募を繰り返していた。同じころ、やはり応募を繰り返していたライバルが井上ひさしだった。

 ある日、宝塚撮影所の入り口の張り紙に目が止まる。
「思想堅固でなく、肉体脆弱にあらずして、色を好み酒を好んで、金銭欲多少ある者を求む。
 監督室、股火鉢川島」

 周囲や映画関係者から反対された。川島の下についた者は、殆ど精神に異常をきたし、自殺した者もいたからだ。しかし、その張り紙に導かれるように藤本は監督室へむかう。

 土間の小さな部屋に確かに股火鉢をしていた男がいた。それが監督川島雄三だった。

川島に連れられ、川島の定宿にゆく。そこで、弟子になるのだからと思い、背広を取ってハンガーにかけようとする。その背広を手で取ろうとすると、ハンガーに背広がすでに乗っているように、くるくると背広が丸まる。変だとは思ったが、そのまま背広を取ろうとすると、ハンガー部分が引き抜けない。それで背広のなかをみると、小さくなった川島が背広の下にいる。ハンガーとおもわれたものにはゼンマイがついていた。

 川島の歩き方は確かにおかしくペッタン、ペッタンと音を発して歩く。
 川島は不治の難病筋萎縮性側索硬化症を患っていた。筋肉がどんどん縮む病だ。それを隠すために背広の中に仕掛けをしていた。

 川島は、同じ故郷出身の太宰治を毛嫌いしていた。その反対に大阪の作家織田作之助に傾倒していた。太宰は、津軽弁を捨てて、東京弁で物語を描いた、一方織田は関西弁を使い関西に根差した小説を書く。そのことにより、太宰は大流行作家となったが、織田は文庫もでない貧乏作家となったから。

 織田が倒れ病院にかつぎこまれた知らせをうけたとき、川島は銀座で飲んでいた。あわてて、花屋に寄り、その店の薔薇の花をすべて買って、病院に急ぐ。しかし病室には入れなかった。鉄格子が張られている病室で織田は亡くなる。
 そして、川島はそのとき、全部の薔薇の花を食べた。

川島は藤本義一のみならず、名監督今村昌平、中平康を育てた。

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| 古本読書日記 | 06:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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