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柴田元幸 高橋源一郎  「小説の読み方、書き方、訳し方」(河出文庫)

以前、古本で中上健次の「枯木灘」を買って読んだところ、ときどき読者が、赤ペンで、文章の横に線を引いてあった。教養書や新書では、こういう経験をすることがしばしばあるが。今時小説でこんな本に出合うとは驚きとともにどことなく懐かしく感じた。

 私たちが小さいころは、漫画など読まず、漱石や鴎外、芥川を読むように言われた。そこから、教養と人生の生き方を学べと。

 学生時代は塊として読書をさせられた。塊を代弁しているような作者の作品を日本、海外文学を問わず読めと言われ、その塊では、バイブルとされている作品があり、絶対読破して作品への肯定を語らねばならなかった。

 その重圧や頚城がいやだった。それが70年代最後まで続いた。

80年代に変わり、その重圧を解き放つ新しい作品、小説家が生まれた。村上春樹だった。それは、自由でアメリカの香り一杯の作品だった。生き方、考え方を押し付けてくるところは何もなかった。文章や、言葉、文体が主張より大切なものとなった。

 同じ村上でも、村上龍は、一見、高圧的で、反逆的行動、思想を押し付けられているような圧迫感がするが、龍もポップアート、ロックの時代の申し子で、読みだすと、作品のリズムに飲み込まれ、気が付けば夢中になり、読み終わってしまうという感じだった。

 それでも春樹では、これは何?不思議な言い回しと時々引っかかった。

そして、そのあと綿谷りさが登場した。綿谷りさは「~のように、ような」隠喩を多用した。こんな作品は一昔前では下手な文章の典型と言われた。しかし、その多用が物語にうまく溶け込んだ。風景描写が多く、以前のこれが私の考えという色合いは全く消えた。サラサラと読め、つっかかることは全く無い。

 それでもまだ、受験の問題では、作者の言いたいことを100字以内に要約しなさいとか読解力が大切という考えが蔓延している。
 メールでさらさらと文章を書いたり、思いを表現することが当たり前の時代、大切なこととは思うが、受験問題は少し焦点がずれてきているように思う。

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| 古本読書日記 | 06:02 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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