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矢野誠一     「落語とはなにか」(河出文庫)

 高校の時、初めて落研を作った思い出がある。そのとき思ったのだが、落語の面白さというのは虚を実のように見せることだと。

 落語の小道具は扇子と手ぬぐいだ。
 扇子は、煙管、箸、棒、槍、刀、包丁、手紙、金づち、櫓、そろばんなど、それから手ぬぐいは、財布、煙草入れ、巾着、帳面など、場面、場面で自由に変わる、

 扇子の箸を使って、そばやうどんをすするところなど、名人芸に出会うと、よだれがでてきてしまう。

 「宿屋の富」という落語が好きで、高校のとき文化祭などで演じた。

あまりお金を持っていそうにない旅人が、ある宿に泊まる。宿屋の主人に進められて旅人が富くじを買わされる。なけなしのお金一分を取られる。その番号が「子の千三百六十五番」。

 旅人は当たるわけはないとは思ったが翌日、富くじ会場の神社にくる。
もうくじは終わっていた。そして「当たり番号は子の千三百六十五番だ。そこにはりだされているよ」と神社にいた人に言われる。

 ここからの旅人のしゃべりが、この落語のだいご味の場面。旅人が張り出した場所に行く。

 「なるほど・・・(と、張り出しをみながら)立派に書きよったなあ。一番が子の千三百六十五番か・・・。二番が辰の八百五十七番・・・。ええ番号が出たるなあ・・・。干支頭に竜虎か・・・。勢いのあるものが出てるなあ。(また読み返して)一番が子の千三百六十五番か・・・。そうそうわしも昨日宿屋の主人から一枚買うたる。待てよわしの買うたのが、(と懐から富くじをだして)子の千三百六十五番と・・・フーム、こりゃあ、当たらんもんやなあ・・。沢山のなかやで・・。二番が辰で、三番が寅か・・・わしのが子と・・千三百六十五番。当たりが子の千三百六十五番・・・。こら、アカン。これで一文なしのからっけつや。あれが、子の千三百六十五番と・・・(首をふりふり)こうなると涙がでるなあ・・。わしのんが、番の五十六百三千の子ぇ・・あかんこりゃあさかさまや。わしのが子の千三百六十五番。あーあほんのちょっとの差やがなあ。」

 普通は一目で確認は終わる。こんなにかからない。ありえないことをたたみかけるしつこさ。ありえないと思いながらも、知らないうちに話芸に引き込まれてゆく。これが私のような下手になると、誰もばかにしてそんなことあるわけないじゃないかと白けムードになる。

 虚を実に変えてゆく話芸が落語の神髄だ。
「愛宕山」、旦那についてきた幇間が、旦那が谷底に放った小判を、傘をひらいて降りて、小判を拾って、服を全部脱ぎ捨て、それを縄にして、生えていた嵯峨竹の先に結び付け、そのしなりで勢いをつけて旦那のところに戻る。

 こんなありえないことを、落語家は見事に演じる。

 「粗忽長屋」では、駆け込んできた隣に住む男が、自分を指さし、「大変だ。おまえは浅草の通りで行き倒れで死んでいた」と叫ぶ。「そんなことあるわけない。ちゃんと俺は生きているぜ。」と言い返すが、隣の男が死んでいた自分のことを微細に語る。そうすると自分は死んでしまったのかと信じるようになる。この過程が聴衆にはたまらない。

 落語には人情噺やいろんな種類はあるが、やはり虚を実にみせるのがその神髄だと思う。

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| 古本読書日記 | 06:40 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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