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小松左京 「やぶれかぶれ青春記 大阪万博奮闘記」(新潮文庫)

戦中。戦後の混乱期、旧制中学、高校を過ごした青春記と、大阪万博にブレーンとして加わった奮闘記を収めた本。

 小松は旧制中学校を終えると、親父の指示もあり旧制第3高等学校(現 京都大学教養学部)を受験し合格する。ようやく受験勉強から解放され、自由を謳歌していたとき、突然旧制の学校制度が廃止され新制の学校制度に変わり、驚くことに三高一年生の後、京都大学受験を受けねばならなくなった。大ショックを受けている。

 当時はバンカラが流行り、制服の上にコートをはおり通学するのが一般的な三高生のスタイル。学生の中に凄い猛者がいた。

 皆、食堂で食事後、薬缶や丼などをコートに包んで持ち帰る。そんな中に「黒マント」と言われた学生がいた。彼はまずい南京豆の混ざったごはんを食べ、馬の小便のごとき渋茶をゆっくりとすすると、やおら立ち上がりマントを翻す。すると、そこにあった、薬缶、茶碗、湯飲み、丼、皿、箸立て、醤油入れが一斉に無くなる。

 これに業を煮やした食堂のおじさんが、でかいスイカをさらに一段と大きくした、両手で持ち上げないとあがらないくらいの薬缶に切り替えた。

 これでは隠して持ち去るのは無理だろうと思っていたのだが、その薬缶をある日マントにくるんで持ち去ろうとする。ところが彼が「アチイ アチイ」と悲鳴をあげる。

 なんと熱いお茶がいっぱいはいった薬缶を股にはさんで両手で持ち上げていた。その熱さに耐え兼ね、股の間からお茶と同じ色をしている液体を漏らしていた。もちろん一緒にお茶もこぼしていた。

 小松左京が大学に受かったころ、父親の事業が失敗。一切仕送りがなくなってしまった。下宿代も授業料、生活費もかかる。とても、これらをアルバイトだけでは賄えない。どうしてお金を手に入れていたか長い間不明だった。小松は、そのことをこの自伝でも全くかいていないが、実は、小松は手塚治に憧れていて、当時漫画を描き、それを大阪の出版社に持ち込み、漫画本になり収入を得ていた。最初の漫画は「怪人スケレトン博士」。ベストセラーになっている。

 しかし、小松の漫画家時代は何故かわからないがタブーとなっている。

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