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司馬遼太郎   「司馬遼太郎 歴史のなかの邂逅2」(中公文庫)

歴史上の人物の魅力を発掘したエッセイを年代順に集大成。その第2巻。第2巻は、信長、秀吉を含む、室町時代末期より戦国時代から天下統一までの時代を生き抜いた人々について収録している。

 唐瘡は梅毒の当時の呼び名。梅毒はコロンブスが新大陸から持ち帰った病気で、瞬く間にヨーロッパに広がる。その同じころ、唐を経由して日本にももたらされた。

 秀吉は女好きだったが子宝には恵まれず、公式には、淀君との間に生まれ2歳で亡くなった鶴松という子と秀頼。しかし、この秀頼は淀君から生まれたのではないのではという説がある。そのあたりの真実、当然淀君も北政所も明らかにしない。

 実は、秀吉は唐瘡にかかっていたのではという説が濃厚で、子種は無かったと言われている。あちら、こちらの戦地に赴くときは、当然、多くの遊女を抱え秀吉は行く。そんな遊女たちと見境なく遊べば、当然唐瘡にかかる。

 これに比べ、家康はたくさんの子を持ったが、彼は身持ちが固く、正室、側室、部下の武士の娘、領地の生娘にしか手をださなかった。
 政治力にたけた、北政所、それに前田利家の正室お松の方は、秀頼の出の元を知っており、関ヶ原の戦いのとき、積極的に秀頼支援をしなかった。

 もし、秀頼が本当に淀君と秀吉の子供であったら、こんな態度はとらず、関ヶ原の戦いも違ったものになったかもしれないと司馬遼太郎は書く。

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| 古本読書日記 | 06:27 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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